「エムズシティ」の建物に近づくと、フェンスが錆びているなど年季の入った印象を受ける。出入り口の風除室では年配の女性が井戸端会議を繰り広げており、ローカルな空気が漂っている。
店内に足を踏み入れると、内装はきれいで明るい雰囲気。1階には西松屋とカーブスのほか地元商店らしき花屋や写真店があり、2階はダイソーがワンフロアを占め、買い物客の姿が見られる。5階にはNPO法人が入居している。
しかし、2階から3階につながるエスカレーターの前にはベルトパーテーションが引かれており、エスカレーターの先の3階は真っ暗。1階から地下1階へのエスカレーターも同様である。3階・4階・地下1階には立ち入ることができず、施設の半分が閉鎖されている。
筆者は以前、「廃墟モールで100均だけが生き延びる理由」について記事を書いたが、「エムズシティ」でもダイソーが生き延びている。
開業当初から2つの競合が存在
「エムズシティ」はなぜこのような状態になってしまったのか。その理由を探るべく、歴史を振り返っていく。
「エムズシティ」は1981(昭和56)年5月、「寿屋水俣店」としてオープンした。中心商店街約50店舗が組織する「水俣市中小商店近代化共同ビル建設促進期成会」が寿屋を誘致し、梅崎製材所跡地に「梅崎ビル」を建設。寿屋とテナント18店が入居した。
「開店当日は朝9時半の開店前に約2600人が300メートルの列をなし、当日だけで約3万人が入店したと言われ、芦北・出水・大口・長島・天草方面からの来客も多く、商圏の拡大を思わせた」という。(『新水俣市史』1991年10月)
寿屋は熊本市に本社を置くスーパーで、1970年代後半から出店ペースを加速し、1980(昭和55)年度〜1982(昭和57)年度の3年間で105店舗を開店。九州小売業界でトップの売り上げを誇っていたが、「寿屋水俣店」に関してはオープン時点ですぐ近くに競合店が存在していた。「衣屋」と「水光社」である。

