ちなみに沼垂という地名は日本書紀にある、大化3年(647年!)に築かれたとされる日本の古代城柵「渟足柵(ぬたりのき、あるいはぬたりのさく)」にちなむ。城柵とは、ヤマト政権が北方支配を進めるために置いた行政・軍事上の拠点のこと。当時の城柵があった場所は正確には分からないが、とりあえず、とんでもなく歴史のあるエリアなのである。
合併後の沼垂は非常に栄えており、新潟県にあった地方銀行4行の支店がすべて出店、うち最大手は2支店も出していたというから、その経済力が分かる。その繁栄は昭和40~50年代まで続いたが、徐々に衰退が始まる。
工場閉鎖により始まった衰退
大きな要因は24時間操業していた3工場のうちの2つが閉鎖、撤退。そこで働いていた人達や家族その他の関係者がこの地域から出ていったこと。今も沼垂テラス商店街の先には貨物線の廃線跡が物悲しく残されている。

