さらに言えば、「仕事ができる人」「早く終わらせる人」と認識されれば、空いた時間に別の仕事が容赦なく降ってくるかもしれない。下手をすれば他人の雑用まで押し付けられ、「便利屋」として使い潰されるリスクもあるのだ。
真っ先に削減されるべき無益なプロジェクトがなぜ会社の「聖域」に?
「いや、上司はそれくらい見抜いているはずだ」と思うかもしれない。たしかに、無駄な努力を続ける部下より、効率化して楽々と成果を出す部下のほうが会社にとって有益であることくらい、上司も頭では理解している。しかし、上司の側にもまた、独自の損得計算が働いている。
自分の部署で仕事を効率化し、人員に余裕ができれば、他の部署から「あそこは暇そうだ」と余分な仕事を押し付けられるかもしれない。あるいは「この部署はこれだけの人数がいらなくなる」と判断され、部下を減らされるかもしれない。部下が減り、組織としての所帯が小さくなることは、社内での発言力や影響力の低下を意味する。
また、先陣を切って合理化を進めることは、旧態依然とした他部署のやり方を否定することにもなり、周囲から「余計なことをするな」と煙たがられる可能性もある。
これらに加え、単に「面倒な改革をしたくない」という消極的な事なかれ主義も根強い。経営者の「保身」と、現場の「利害」が奇妙な形で合致したとき、組織の合理性は完全に破綻する。
そして、本来は真っ先に廃止されるべき無益なプロジェクトや慣行が、誰にも触れられない「聖域」として、組織の中に鎮座し続けることになるのだ。
こうして俯瞰してみると、共同体型組織には、効率化や変革というベクトルを打ち消す「逆向きの力」が、あらゆる方向から働いていることがわかる。ただ、それだけならばまだ、対策の手を打つことは可能かもしれない。少なくとも、当事者たちにとって「何が問題なのか」という所在だけは見えているからだ。
しかし、ここに「個人的な利害」がさらに深く絡み合ってくると、問題そのものが意識から消え、見えなくなっていくという、いっそう危険な状況に陥る。


