サザンには夜行のフェリーに接続する列車もあり、和歌山港駅の連絡通路はフェリー乗場へ急ぐ人が行き来し、かつての青函連絡船の夜行便乗船風景を彷彿とする雰囲気があったものだ。
南海の特急がサザンとなる以前は難波―和歌山港間には1000系の、その名も特急「四国」がヘッドマーク付きで運行され「私鉄にも四国行きルートがあるぞ」とアピールしていたように思う。この列車は四国行きのルートとしては関西以外ではあまり知られていなかったので、特急「四国」乗車はどこか気持ちが高揚したのを記憶している。
1999年までは、現在の徳島港ではなく小松島港発着だった。さらに1985年までは国鉄小松島線があり、鉄道が港へのアクセス交通の役割を担っていた。大阪の難波から南海電気鉄道+南海フェリー+国鉄小松島線というルートだったので、鉄道車両の航送こそなかったが、鉄道連絡船のイメージだったのである。
小松島港は国鉄小松島港駅に隣接し、港では竹を通されたちくわが売られていて、名物であった。その頃の小松島港には南海フェリーのほかに共同汽船が運航する大阪―小松島航路のフェリーも発着していた。
公共交通の先行きが不安
四国を発着する航路はここのところ多くが廃止や運休になっている。2025年には北九州と松山を結んでいた夜行フェリーが廃止となったが、この航路は、筆者は何度も利用していたので残念に感じた。その以前には佐伯と宿毛を結んでいた航路も休止となった。関西と別府などを結ぶ航路には愛媛を経由する便があったが、現在は関西―九州間に専念し、四国への寄港はなくなっている。
3本の本四架橋完成で四国は本州と陸続きになり、便利になったが、旅情や風情という点では、四国へのフェリーは勝っていた。内海なので海が荒れることもなかった。鉄道からフェリーへ乗り継いで四国入りすると「はるばる四国へやってきた」という感覚があった。
日本の人口が減少しているせいか、自動車社会になったからなのか定かではないが、地方の公共交通機関の経営は日本中で芳しくないようである。今後も撤退が続くのかもしれない。

