大きな違いは、台湾には複数の国立大学に演劇系の学科があることです。台湾大学、台北芸術大学をはじめ、公立大学にも演劇や芸術を学べる場があります。そこで縦と横のつながりができる。先輩後輩の関係もできるし、共通のメソッドや言語を持つことができます。
日本にも私立大学の演劇系学科や劇場が運営する研修機関はありますが、国公立大学で演劇を学べる場は長らく限られていました。近年、兵庫県立の芸術文化観光専門職大学ができ、舞台芸術を学ぶ環境も少しずつ変わっていますが、台湾とは状況が違います。
日本では、劇団や「何々組」のような現場単位の力が強い。近代演劇、現代演劇の歴史も台湾より長い。台湾では戒厳令解除後の1980年代後半から、小劇場や実験的な演劇が徐々に育ってきました。その歴史の違いが、創作環境にも表れていると思います。
日台合作に必要な、歴史への視線
――日本と台湾の演劇は、今後どのように協働できると思いますか。
伝統演劇の分野では、すでにさまざまな試みがあります。能や狂言と台湾の伝統演劇を組み合わせる企画、あるいは日本の人形劇と台湾の布袋戲を結ぶような企画もあります。今後もこうした交流は続いていくと思います。
一方で、現代演劇の協働には難しさもあります。特に歴史を扱う場合、日本側に加害の視点が十分にあるのかどうかが問われるからです。
近年、日本でも少しずつ、戦争や植民地支配について、被害だけでなく加害を書かなければならないという意識が出てきています。若い作り手の中には、植民地主義をテーマにする人も増えています。ただ、物語中心のストレートプレイでは、まだ歴史への視点が甘いと感じることもあります。
台湾で日本統治時代や戦争を扱うのであれば、日本側の創作者は、台湾の観客が何を受け止め、何に違和感を持つのかをもっと慎重に考える必要があると思います。
――研修の一環として、日本語の劇的朗読にも取り組まれましたね。
新竹の陽明交通大学が制作した、日本の植民地期の旧日本海軍燃料工廠を舞台にした絵本を日本語に翻訳し、それをもとにリーディング公演を行いました。
この絵本にはQRコードがついていて、日本語だけでなく、台湾語、マレー語、英語など複数の言語に翻訳されています。私はその日本語版の翻訳に関わりました。
上演では、OHPという昔の学校で使われていた投影機を使い、音響効果やオブジェクトシアター的な要素も取り入れました。会場には家族連れの方が多く来てくださいました。大きな煙突に住みついているコウモリの観察や解説の後に、物語の上演を行ったのですが、実際の場所で上演することの力を強く感じました。
その場所は、かつて日本海軍の燃料工廠として、多くの工員や軍関係者が働いていた場所です。戦後は国民党の人々が暮らす眷村にもなり、工廠の跡地が生活の場にもなっていきました。そうした歴史の痕跡が、今も残っています。

