その歴史を次の世代へ伝えるために、絵本をつくり、多言語に翻訳し、上演する。そうした取り組みの一部に関われたことは、大きな経験でした。
日本語で書かれた台湾演劇を、台湾の俳優と読む
――その後、日本に帰国してから、新竹で行ったリーディング公演をさらにブラッシュアップし、今年2月に東京で上演されました。
実は、2025年の大晦日に実家で資料を整理していたとき、祖父が梵鐘の鋳造を始める前に、軍需工廠を経営していたことを偶然知りました。その発見によって、旧日本海軍燃料工廠の歴史と、自分自身の家族史とを重ね合わせる構成が見えてきたのです。
作品では、旧日本海軍燃料工廠の煙突から立ち上る「煙」を、歴史そのもののイメージとして扱いました。煙は、においがあり、目にも見える。けれども同時に、対象を覆い隠し、すぐに揺らいで形を変え、はっきりとつかむことができません。そうした煙のあり方に、見えているようで見えず、触れようとすると逃げていく「歴史」の姿を重ねました。
――今後も取り組みたいと思っていることは何ですか。
大学院で研究していた日本統治時代の日本語劇をリーディングとして上演したいです。ただし、日本人が演じるのではなく、日本語のできる台湾人キャストで上演したい。
日本語劇は、台湾人を皇民化するための教育劇として使われた面があります。非常に意図的に、皇民化を促す内容が書かれている。だからこそ、それを現在の台湾人の俳優が演じることで、歴史を追体験し、問い直す企画にしたいと思っています。
もう1つは、移行期正義に関する演劇が台湾でどのように上演されているのかを、何らかの形にまとめることです。台湾の現代演劇は、日本ではまだほとんど紹介されていません。伝統演劇については多少情報がありますが、現代演劇の翻訳や紹介は非常に少ない。
昨夏までの1年の研修を通して、台湾現代演劇の現場に深く関わることができ、人脈もできました。今後は、その土台を活かして、台湾の劇団や作品を日本に紹介する仕事にもつなげていきたいと思っています。
台湾で出会った演劇の多くは、政治、歴史、アイデンティティと深く結びついています。台湾の演劇を知ることは、台湾という社会が何を記憶し、何を問い続けているのかを知ることでもある。そのことを、日本の観客にも伝えていきたいです。

