――研修先だった飛人集社(フライング・グループ・シアター)についてはいかがですか。
飛人集社は、人形(パペット)や物(オブジェクト)を使って上演する「オブジェクトシアター」に長く取り組んでいる、非常に勢いのある劇団です。
私は以前、人形劇に対して子ども向けのものという偏った印象を持っていました。でも台湾で伝統的な人形劇である布袋戲(ポテヒ)を見たり、飛人集社の作品に触れたりするなかで、その印象は大きく変わりました。人形や物は、非常に洗練された表現媒体であり、大きな可能性を秘めています。
人間の俳優が演じると、生々しすぎる場面があります。虐殺や迫害、悲劇的な歴史を扱う場合、俳優がそのまま演じると、観客にとって受け止めるのがきつくなりすぎることもある。ところが、人形や物を介すると、表現は象徴的になり、観客はそこに自分の想像力を投影しやすくなる。
物自体は変化しません。呼吸もしないし、感情も表に出さない。でも、その物の位置を変えたり、人との関係をデザインしたりすることで、物そのものの物語が動き出して観客の想像力を刺激する。そこに、オブジェクトシアターの大きな魅力があると思います。
台湾演劇の中心にある政治、歴史、アイデンティティ
――台湾の現代演劇には、歴史を扱う作品も多いのでしょうか。
多いです。台湾演劇では、歴史をどのように見るか、自分たちのアイデンティティをどのように考えるかという問いに積極的に取り組んでいる劇団が多いと感じます。
たとえば、烏犬劇場(ザ・ブラックドッグ・シアター)は「戦争三部作」(※1)を制作しています。私が見た第二作は、戒厳令時代にベトナム難民の船が金門に流れ着き、当時の国民党兵士によって殺害された実際の事件をモチーフにした作品でした。ただ歴史を上演するだけではなく、現代の観客に向けたメッセージが込められていました。セリフも非常によく、移行期正義(※2)の演劇を考えるうえで重要な作品だと思いました。
「台湾文学の中心には政治がある」と台湾文学研究者の赤松美和子先生は書かれていますが(※3)、台湾演劇も同じだと思います。政治、歴史、アイデンティティ、そして「私は何者なのか」という問い。そうしたものが、どの作品にも何らかの形で表れているように感じます。
(※2)独裁や内戦など過去の体制下で行われた人権侵害や戦争犯罪に向き合い、責任の追及と被害者の救済を行う取り組みを通して、社会の和解をめざすプロセスのこと
(※3)『台湾文学の中心にあるもの』赤松美和子・著/イースト・プレス刊/2025
――日本と台湾の演劇環境には、どのような違いがありますか。
共通しているのは、演劇で生きていくのはどちらも大変だということです。俳優たちはアルバイトをしながら活動している人が多く、演劇だけで生活している人は限られています。助成金に関しても、日本には文化庁やアーツカウンシルの助成があり、台湾には国家文化芸術基金会や文化部の助成があります。その意味では、似ている部分もあります。

