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「台湾にいると日本のことを考え続けさせられる」。日本の植民地だと知らなかった俳優・岩澤侑生子が見た台湾演劇の熱量

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2026年2月に岩澤さんが日本で行った絵本のリーディング公演の様子(撮影:前澤秀登)
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同時に、30歳手前になって、これから俳優としてどう生きていくかを考えていました。当時、周囲の俳優たちはヨーロッパやアメリカへ留学し、現地で得たメソッドを日本へ持ち帰って活動する流れがありました。

ただ、アジアへ行く人はあまりおらず、アジアの演劇についてもあまり知られていませんでした。それなら自分がアジアへ行って学び、それを持ち帰ればいいのではと考えました。

「台湾という島があるらしい」から始まった留学

――そこで台湾を目指したのですか。

実は最初から台湾に行こうと思ったわけではありませんでした。中国語ができる俳優になれば、面白い仕事につながるかもという思いがあり、アジアで中国語を学べる場所を探したところ、香港と台湾が選択肢として出てきました。香港は広東語なので、中国で広く使われる中国語を学べるのは台湾かなという程度でした。

本当に何も知らなかったのです。日本が台湾を50年にわたって植民地統治をしていた歴史があったことも、台湾に来てから初めて知りました。

最初はワーキングホリデーで3カ月ほど台湾に滞在し、国立台湾師範大学の語学センターで中国語を学びました。その後、日本料理店でアルバイトもしました。ただ、3カ月では「中国語ができる俳優」にはまったく届かないと気づきました。

その頃、台北市内に住んでおり、自宅から師範大学まで歩く道すがら、よく見かける日本統治期の建物がものすごく気になりました。台湾には日本との歴史が街の中に残っている。一方で、東京に帰ると台湾のことを思い出すような手掛かりはほとんどありません。

50年という時間を共有していたはずなのに、戦後の日本と台湾では、日常の中で感じるものがこんなにも違う。その非対称性が心に残り、また台湾に戻りました。

台湾では、やりたいことに必要なものがつながっていく

――台湾で大学院へ進学されていますね。

台湾教育部(教育省)の奨学金をもらえることになり、もう1年、台湾で学ぶことになりました。日常会話は少しばかりできても、仕事として使えるレベルにはまだ遠い。何とか台湾に残る方法はないかと考え、大学院進学を思いつきました。

最初は台北芸術大学の演劇学科を受け、俳優として残ろうとしました。でも当時の私は、大学院が研究をする場所だということもよくわかっていなかった。ただ情熱を伝えるような試験になってしまい、結果は不合格でした。

その後、淡江大学の日本語文学科を見つけました。翻訳・通訳の授業もあり、日本の植民地時代に関する歴史の授業もある。そこで、日本語文学科に所属しながら、日本統治期の台湾演劇を研究することにしました。

台湾にいると、パズルとパズルを組み合わせるように進路が決まっていくことがあります。自分が「これをやりたい」と言うと、誰かが「あの人を紹介するよ」と言ってくれる。資料も人も、必要なものが不思議とつながっていくのです。

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