いよいよ、業者に頼むことにした。当時は遺品整理という言葉もなく、スマートフォンもなかった。検索して業者を探すこともできない。市役所に問い合わせ、紹介されたのは地域の廃棄物処理業者だった。
作業当日、トラックが何台もやってきた。作業員たちは慣れた手つきで荷物を次々と運び出していく。取り壊しが決まっている建物ということもあり、土足のまま家へ上がり込み、淡々と作業を進め、ゴミ収集車で次々と粉砕していった。
それを見て、胸が締めつけられた。
祖母がいつも使っていた湯呑み茶碗が、目の前でバリバリと砕かれていく。大切にしていた人形も、写真も、家族の思い出が廃棄物として処分されていった。
依頼しているのはこちらだ。だから何も言えない。ただ、黙って見ていた。
帰り道、1歳年下の弟と話した。こういうことって、需要があるんじゃないか。同じ思いを抱えている家族が、きっとたくさんいる。
私と弟で、この仕事を始めることになった。
「よくこんな仕事するよな」と言われることもあるが…
最初の3年間は、仕事らしい仕事はほとんどなかった。近所のおばあちゃんの家のドアノブを交換して5000円をもらう。そんな便利屋のような仕事をする日々だった。
特殊清掃へと仕事の幅を広げたのは、一件の火災現場が転機だった。
いつも仕事を依頼してくださる高齢の女性が、困っていた。親戚の家が火事で全焼し、3人が亡くなったという。片づけをしたいが、どこに頼んでいいかわからない、と。あちこちに問い合わせたが、すべて断られてしまったという。
火災現場を嫌がる業者は、今でも多い。しかも、中で人が死んでいる。
それを、二つ返事で引き受けた。
当時、仕事がほとんどなかったため、選んでいる状況ではなかった、というのが正直なところだ。でも、作業が終わると、女性はものすごく感謝してくれた。
この、「どこに頼んでいいかわからない状況」が、祖母の遺品整理のときに自分たちが感じたことと同じだと思った。
どんなに凄惨な現場でも、困っている人がいる。引き受ける人間が必要だ。
これに特化してやっていこう、と決めた。
「よくこんな仕事するよな」
「いくら金をもらっても、こんな仕事できない」
そういう言葉をかけられることも多かった。
確かに、この仕事を好んでやりたいという人は少ない。それは今も変わらない。しかし、誰かがやらなければならない仕事だ。

