圧倒的な実績を出したトッププレイヤーが、その功績を評価されてマネージャーに抜擢されるのは、ビジネスの世界においてごく自然なステップであり、彼ら自身もそれだけの努力をしてきたはずだ。
「これだけ営業成績がよいのだから、マネジメント能力も高いに違いない」
「これだけ技術に詳しいのだから、人格も優れているはずだ」
そう思い込んで、彼らを管理職に抜擢してしまう。しかし、ここに「名選手が必ずしも名監督になるとは限らない」という罠が潜んでいる。
プレイヤーとしての能力(自分自身で結果を出す力)と、マネジメントの能力(他者を通じて結果を出す力)は異なるにもかかわらず、経営陣は「これだけ成績がよいのだから、マネジメントもできるはずだ」と、強烈な光(実績)に引きずられて評価してしまう。
厄介なことに、ブリリアント・ジャークの中には、自己演出に長けている者もいる。権力者(上司)の前では礼儀正しく振る舞い、部下の前では暴君と化すこともある。上層部は、彼らの見えている部分、見たい部分しか見ていない。だから、現場から「あの人はひどいです」という悲鳴が上がっても、こう反応する。
「まさか、あの優秀な彼がそんなことをするはずがない。君の勘違いだろう」
「彼にも厳しさがあるかもしれないが、それは君たちの成長を思ってのことだよ」
こうして、ハロー効果という霧の中で被害者の声は揉み消され、加害者は期待のリーダーとして昇進していく。現場の絶望感は深まるばかりだ。
それは本当に「ジャーク」か?
「そうか、あの人は『ブリリアント・ジャーク』だったのか!」
ブリリアント・ジャークという言葉を知ることで、膝を打ち、胸のつかえが取れたような感覚を覚える人もいるかもしれない。正体不明だった理不尽な苦しみに名前がついたことで、「自分は被害者である」と正当化され、安心感が得られるからだ。
しかし、この言葉にはある種の甘美な罠がある。それは、自分にとって都合の悪い相手に「ジャーク」というレッテルを貼ることで、思考停止に陥ってしまうリスクだ。

