「公共メディア料金」はそのインフラの維持のために使われる。そのうえで、コンテンツの制作費については役割を分ける。民放と新聞社は、インフラ以外の制作費は自分たちで稼ぐ。広告収入であれ、サブスクリプションであれ、稼ぐ努力は各社が引き続き担う。
一方のNHKは、公共メディア料金を制作費にも充てることができる、唯一の存在として残す。これは、NHKが「最後の公共インフラ」としての役割を担う代わりに、稼ぐ努力を放棄してはならない民放・新聞とは異なる立場にあることを明確にするための切り分けだ。
そして、NHK自身も身軽になる必要がある。娯楽性の強い番組は大きく減らす。朝ドラや大河ドラマはもう役割を終えていると私は思う。その代わり、22時台の社会性の高いドラマは今後も制作する。ゴールデンタイムの民放と見分けがつかない娯楽番組はなくしていい。大みそかの紅白歌合戦ももういらないだろう。
これにより、今より支出を大きく減らしても運営できる体制に切り替える。NHKが「何でもやる総合メディア」であろうとし続ける限り、コストは下がらず、受信料への抵抗感も消えない。そして、視聴者にどんどん見られなくなる。公共性を軸にやることを絞り込んだうえで、ようやく存続が正当化される。
「公共メディア料金」のあるべき位置づけ
「公共メディア料金」というアイデアの肝は、NHKと新聞・民放を対立関係から協業関係に置き直す点にある。
新聞や民放にとって、本当の競合相手はNHKではない。本当に対抗しなければならないのはSNSであり、そこから流れ込むフェイクニュースや断片化した情報だ。NHKと新聞、民放が共通の土台の上で「安心安全な情報」を国民に届ける仕組みを再構築できれば、受信料は「NHKだけのための負担」ではなく、「メディア全体の信頼インフラを維持するための負担」に意味が変わる。
この点を民放と新聞社も含めて国民に丁寧に時間をかけて初めて、この制度が成立する可能性が出てくる。料金を義務にするか、任意にするかも、その誠実さにかかってくる。渋谷の奥でふんぞり返っていては絶対に無理だ。
団塊世代の死亡増加と放送離れによるオールドメディア存亡の危機は、10年というスケールで見れば、もはや避けられない既定路線だ。この点は誰もが納得するのではないか。数年後に「放送離れ」が決定的になったときにやっとそれぞれが個別に生き残りを図っていては、誰も生き残れない。

