日本国内での戦争をめぐる議論を見聞きする時、戦史・紛争史を長年研究してきた者として、もう一つ気になる点があります。それは、「戦闘」と「戦争」を区別せず、混同しているケースが多いことです。
軍事や戦史研究の分野では、過去の戦争やこれから起きうる戦争を分析する際、いくつかの階層(レイヤー)に区分して、それぞれ異なる基準で検討するのが一般的です。ここで指摘する「戦闘(バトル、コンバット)」と「戦争(ウォー)」も、そうした階層区分の一例です。
「戦闘」とは、数人から数百人の兵士や戦闘員が交戦する、短期かつ局所の戦術的交戦を意味し、「戦争」とはそうした無数の「戦闘」と他の要素(国力や経済力、他国との関係など)の総体としての全体のメカニズムを呼び表す、戦略的な概念です。
先の戦争中、日本軍は1942年の夏頃まで、中国や東南アジア、太平洋の島々で繰り広げられる「戦闘」の多くで、勝利を重ねました。日本の政府公報や新聞・ラジオは、各地の前線から寄せられる日本軍勝利の知らせを華々しく国民に伝え、「無敵皇軍(天皇に仕える日本軍は圧倒的に強いという意味の言葉)」の勝利は近いと信じさせました。
確かに、個々の戦場では、日本兵の個人的能力の優位性や、戦闘機など一部兵器の性能的優越により、日本軍が勝つ「戦闘」がいくつも発生しました。新聞各紙は、城壁の門を占領した日本兵が日の丸を掲げてバンザイする写真などと共に、こうした「戦闘」レベルでの勝利を大きく報じ、それを目にした日本国民は、戦況が日本軍に有利な形で進んでいるのなら戦争はもうすぐ終わるだろうと考えて、安心しました。
しかし、当時の日本国民が、軍の検閲を通過した情報で知らされていたのは、全体の一部にすぎない「戦闘」の話だけでした。より大きなスケールで「戦争」の推移を俯瞰(ふかん)すれば、1941年12月の対米英開戦から半年後の1942年夏には、戦況は日本側にとってきわめて厳しいものとなっていました。
1942年6月に起きたミッドウェー海戦で、日本海軍は主力空母4隻を一度に失い、洋上戦で決定的な役割を担う航空戦力が大きく低下していました。これは、アメリカとの軍事的対決で日本が勝利できる見込みが事実上失われたことを意味しました。
局所の「戦闘」における戦果を誇張
また、日本軍はこの年の8月から、アメリカとオーストラリア(英連邦に属するアメリカの同盟国)の軍指示的連携を遮断すべく、ソロモン諸島のガダルカナル島とニューギニア島東部の2方向に向けて新たな攻撃を開始しましたが、敵の戦力を甘く見た兵力不足と、補給物資の輸送失敗により、多数の餓死者を出して大敗させられていました。
その後も、太平洋における「戦争」の状況は時間が経つごとに日本側に不利な方向へと傾いていきましたが、日本の陸海軍上層部と新聞各紙は、局所の「戦闘」における戦果を誇張したり捏造したりして宣伝し、全体の「戦争」では日本の敗色が濃厚だという事実を国民に伝えませんでした。こうした情報統制と視点の誘導により、日本国民は1945年8月の無条件降伏まで、「戦争」全体の正確な状況を知ることができませんでした。
こうした歴史の前例は、今の日本人にも多くのことを教えているように思います。自衛隊に所属する隊員の能力や練度が高いこと、装備する兵器の性能が高いことは、戦争や紛争において「自衛隊が勝利できること」を約束しません。その能力的なプラス要素は、「戦争」でなく「戦闘」のレベルで効果を発揮するものだからです。
この二つを多くの国民が混同したまま政府の説明を聞いてしまうと、前回同様に、また局所の「戦闘」にのみ目を向け、日本の優位を示す断片的な情報を実際以上に高く評価して、思考が「戦争を甘く見る空気」に染まってしまう可能性があります。


