東洋経済オンラインとは
政治・経済・投資 #欧州経済ウォッチ

「円高」こそ経済安全保障に適うのではないかという素朴な疑問…高市政権はなぜ供給網の強靭化だけを謳うのか

6分で読める
高市政権の経済安全保障に「強い通貨」という目的がないのはなぜだろうか(写真:ブルームバーグ)
  • 土田 陽介 三菱UFJリサーチ&コンサルティング調査部主任研究員

INDEX

経済安全保障という概念が声高に叫ばれて久しいが、素朴な疑問がある。それを主張する論者ほど、通貨の価値というものに関心が薄いことだ。

これは大いに矛盾した議論ではないかと筆者には感じられる。経済安全保障論者の一部が通貨の交換性を軽視するというのは、要するに彼らの主張や分析のベースに、貨幣の中立性を前提とする古典派経済学や新古典派経済学があるということだ。

古典派経済学・新古典派経済学は基本的に長期の分析をその対象としている。長期で考えれば交換手段は何でもよいため、ゆえに、貨幣は経済取引に中立であると考える。対して、市場の失敗をどう補正するかという経済政策論は、いわば短期的な視点に立脚している。古くは歴史学派やマルクス派であり、ケインズ派に続く流れだ。

長期的視点では経済安全保障は語れない

経済安全保障は市場介入であるのだから、短期的な視点に立脚している。ゆえに、短期の経済活動を大きく左右する通貨に関しても、きちんとした気配りが必要となる。グローバル化が後退し、モノの取引に制約条件が生じるようになった現代において、供給網(サプライチェーン)の強靭化を図るうえで、強い通貨は欠かせない。

なぜならば、モノが偏在する中で行われる貿易において、価値が高い交換手段を有していなければ、売買が円滑に行われないためである。売り手(輸出側)の立場からは、モノを輸出することで得た外貨で国内に不足するモノを輸入したいのだから、購買力が強い通貨を欲するのは当然の理屈である。

日本でも、経済安全保障の観点から供給網の強靭化を目指すべきだという議論は尽きない。政府はそのための外交に邁進しているが、なぜか「通貨の強靭化」への関心は薄いようだ。そもそもモノ(最終的な財)を作るためのモノ(原材料や資源)が調達しにくくなっているのだから、目指すべきは何より強い通貨=円高ではないのだろうか。

交易条件をめぐる誤解がはびこっている

経済学的に言うと、円高は交易条件の改善に資するわけだが、これを否定する意見もある。それは次のような理屈だ。すなわち、交易条件は輸出物価を輸入物価で除して算出されるのだから、ここに為替が介在する余地はなく、円高や円安は関係がないというものである。一見するともっともらしいが、これは極めて単純化された議論で、現実の経済を完全に無視した論理展開と言わざるをえない。

なぜか。「為替は関係ない」という論者が前提とする世界は、すべての貿易がドル建てで行われているものだからだ。こうした状況は、現代ではまず、考えられないことである。実際、自国通貨でも貿易は行われるし、他国のハードカレンシーでも貿易は行われる。日本の場合、円建てでも貿易が行われるからこそ、円安による輸出ドライブ効果が期待される。

加えて、輸出物価にせよ輸入物価にせよ、これらは輸出・輸入されるモノの価格をウェイト付けして作成される。モノの価格は需給に応じて決まる一方、輸入品であれば、円安によっても価格は上昇する。物価指数を作成する過程で、対象となるモノの価格には為替の変動が織り込まれる。

交易条件は為替変動よりも油価変動に左右されるという見方も根強い。確かにその側面は大きく否定するものではないが、一方、円高はその油価の上昇を抑制する効果を持つ。今の油価の急騰がイラン発のエネルギーショックによる一時的なものだとしても、先行きのリスクに鑑みれば、通貨の購買力を維持することに不合理などない。

交易条件の改善は経済安全保障に適うことは肯定しつつ、それを円高で促すべきであるという議論は退けようとする論者は、円安による輸出ドライブなり、輸出企業の業績の改善を通じた株高という側面を重視する立場なのだろう。とはいえ、特定産業の利益に偏重せず、資源に乏しい日本全体の視点で考えれば、グローバルな供給網の混乱に直面している現在はなおさら、優先すべきは円高となるはずである。

2/2 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

政治・経済・投資

人気記事 HOT

※過去1週間以内の記事が対象