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ライフ #再開発されない街

「駅が開設されたのが遅かった」「地下鉄駅しかない」あと2つは? 練馬区と板橋区の境目「小竹向原」が再開発されない理由

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小竹向原駅
小竹向原はなぜ再開発されないのだろうか?(写真:筆者撮影)
  • 坪川 うた ショッピングセンター研究家・ライター

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昔からの商店街、昭和の趣を残す家屋、狭く入り組んだ路地……さまざまな再開発が進む東京だが、中には再開発されないままの街もある。
タワマンや高層オフィス、大きな商業施設が生まれない街には、どんな理由があるのか――。ライター・坪川うたさんが、緻密なリサーチとフィールドワークで送る連載。第4回は「小竹向原」を取り上げる。

練馬区と板橋区の境目に再開発されない街が存在する。小竹向原駅周辺だ。

街中に店舗は非常に少なくほとんどを住宅が占めており、駅前幹線道路には遊歩道が整備され、建物は低い。前編ではそんな再開発されない街、小竹向原の現状と歴史を紹介した。

小竹向原駅の2番出口付近。店舗は極端に少なく、低層の住宅が並ぶ(写真:筆者撮影)
【写真を見る】「駅が開設されたのが遅かった」「地下鉄駅しかない」あと2つは? 練馬区と板橋区の境目「小竹向原」が再開発されない理由(18枚)

続く本稿では、小竹向原がなぜ再開発されないのか、その理由を分析する。

駅の開設が遅く、地下駅のみ

1つ目の理由は、駅が開設されたのが遅かったことである。

練馬区では、1914(大正3)年に東上鉄道(現・東武東上線)の池袋駅―田面沢駅(現・川越市)間、1915(大正4)年に武蔵野鉄道(現・西武池袋線)の池袋駅―飯能駅間と、大正初期に鉄道が開通した。板橋区でも1885(明治18)年の現JR埼京線、1914(大正3)年の現東武東上線の開通を契機に、沿線が発展していった。

しかし、営団地下鉄(現・東京メトロ)有楽町線が開通し小竹向原駅が開設されたのは1983(昭和58)年。練馬区に初めて鉄道が通ってから、69年後のことである。それほど長きにわたって鉄道のないエリアであったのだ。

余談だが、小竹向原駅はもともと仮称・向原駅と名付けられていた。向原は板橋区の地名である。ところが、駅の開業を前にして練馬区側が小竹町駅などの名称を希望し、駅名争いが勃発。最終的には、ホームの9割が属する練馬区を優先する「小竹向原」の名称で決着したという面白い経緯がある。

2つ目の理由は地下駅のみであることだ。地上に駅があれば、駅前ロータリーや駅ビル整備のために再開発が実施されやすいが、小竹向原駅に乗り入れる3路線はいずれも地下鉄で、地上駅はない。

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