両校の開設は、1955〜1964年(昭和30年代)に急速な都市化が起こり、学校の新設・校舎増築が行われた時期と重なる。
再開発の格好の地である駅前一等地の大部分を小学校が占めているのだ。
幹線道路に対する反対運動
4つ目の理由は、放射第36号線(通称要町通り)の整備にあたり、沿線利用を望まない住民の要望が反映される形で道路が建設されたことである。
放射第36号線の原型は1927(昭和2)年に幅員15mで都市計画が決定され、都の幹線道路の見直しがなされた直後の1966(昭和41)年に40mの幅員で計画決定された。
小竹向原駅周辺では、向原小学校、小竹小学校の校庭を横切る計画であった。営団地下鉄8号線(現・東京メトロ有楽町線)がこの道路の地下を通って延伸される計画が決定しており、1970(昭和45)年頃、道路整備を地下鉄8号線との同時施工にする方針となった。
この頃から、小竹町などの主婦たち住民有志「放射35・36号道路対策住民協議会」による住民運動が起こった。その運動方針は放射第36号線の幹線道路としての沿道利用を望まず、公害を防ぎ、住環境の保全を図ることである。当時は自動車による公害に対する住民の関心が高まっている時期だった。
