例えば、孤独死現場に残された動物や植物を放っておけない特殊清掃業者さんがいる。その業者さんの事務所は、水槽やら植物やらでいっぱいだった。
自宅に猫が3匹もいるのに、突然倒れてしまった高齢者の家にいた猫の世話をし続けている老人ホーム斡旋業の男性。ひきこもりの女性宅を訪ね、ただ食べ物を届けることで、懸命に命綱となっている熱血行政マン。
筆者が社会で見つけたのは、どこか「ちぐはぐ」かもしれないが、声なき動物や人の「声を聴ける」大人たちだ。
そんな小さな優しさで、社会は成り立っている。そう実感したとき、肩の力が抜けて社会の輪郭が変わって見えた。しかし、それはたまたま私が書き手になって、色々な人と接する機会があったからにすぎない。
それでも、筆者は伝えたい。この社会に、「声を聴ける」人間はいる。だからどうか1人で抱え込まないでも大丈夫、安心してほしい、と。
目の前の猫が「ちゅーる」を舐めていると満たされる
筆者もばななさんのお姉さんと同じく、お金に余裕がないのに猫に高級フードを与えていたたちだ。家が散らかっていたこともある。
病気になってほしくないから、猫にはいいものを食べてほしい。仕事がうまくいかないと、家にゴミが溜まってしまう。心が荒れると毎日お菓子だけで食いつなぐ。自分が健康でなくなったら元も子もないのに。わかっている。
自分だけが高級なレストランでコース料理を食べても落ち着かない。だけど目の前の猫が「ちゅーる」を舐めていると、うまいうまいと、猫の「声が聴こえて」くる。そうすると、心が満たされる。自分の食べ物や生活は二の次。
わからない人には、一生理解できない感覚だと思う。そんな筆者は、今もどこか「ちぐはぐ」なのだろう。
思うのは、それぞれの家族に答えなんてないということだ。立場によって抱えている苦しみも違う。それでも言いたいのは、他者への想像力を失わないでほしいということだ。それは自分がいつどの立場に陥るかもしれないという、リアリティを持ち続けることだ。
人生いつだって、うまくいくわけではない。ふとしたきっかけで、エリート会社員が引きこもってしまい、体調を崩した末に、夏場に熱中症で孤独死、なんて現場に出くわしたこともある。
きっとばななさんのエッセイは、そんな人々について思いを馳せる貴重な機会を私たちに与えてくれたのだ。そして1人ひとりがこの社会を考える、きっかけになればと願ってやまない。
