ところが、三好三人衆が勢いを増すなかで元亀元(1570)年、池田氏一族で内紛が勃発。池田勝正は追放されてしまう。代わりに弟の池田知正が当主となるが、実権を握ったのは一族や重臣たちだった。その中の一人が、荒木村重である。
翌年の元亀2(1571)年、三好三人衆と手を組んだ荒木村重と中川清秀の連合軍が、将軍足利義昭方の和田惟政、茨木重朝らの連合軍を撃破。池田勝正、伊丹親興、和田惟政らの「摂津三守護」は力を失うことになる。
この「白井河原の戦い」で勝利したことで、村重は信長に見込まれたとみられている。三好氏から離れて、信長の家臣になった。
荒木村重の従属によって織田信長は息を吹き返す
信長サイドからすれば、村重が家臣に加わったことは、さぞ頼もしかったことだろう。なにしろ、当時の信長はかつてないほどの窮地に追い込まれていた。
元亀3年12月22日(1573年1月25日)に武田信玄と徳川家康が激突し「三方ヶ原の戦い」が起こると、信長も家康軍に兵を送るが、戦は信玄の圧勝に終わる。これによって、信長は武田信玄、三好三人衆、松永久秀、本願寺顕如、朝倉義景、浅井長政らの包囲網に苦しめられることになる。
すると、以前から信長に不信感を募らせていた足利義昭が、反信長勢力をまとめ上げて、室町幕府を再興させようと、本格的に動き出す。信長に見切りをつけて、2月23日には朝倉義景や浅井長政に挙兵の意思を表明している。
危機感を持った信長からは和睦の申し出とともに人質が送られてきたが、義昭はこれを拒否。人質もすぐに返還している。
「白井河原の戦い」で名を馳せた村重が信長に転じたのは、まさにそんなピンチの最中だった。3月29日には、細川藤孝とともに逢坂にて、これから京都へと進軍する信長を出迎えて、忠節を示している。信長がご機嫌で応じたのは、言うまでもないだろう。
村重と信長といえば、餅を巡る逸話が知られている。『備前老人物語』に記されたもので、安土城で村重と初対面を果たした信長は、「お前が荒木弥助(村重)という者か。内々に聞き及んでいるぞ」と言い、目の前にあった2、3個の餅を脇差で刺し、村重の前に差し出したという。
すると、村重が脇差を抜いて腹這いになって、その餅を食べようとしたので、信長は笑いながら脇差を振り、餅を落とした。村重がその餅を食べるのを見て、信長はその脇差を村重に与えたという。
『陰徳太平記』でも同様の逸話が紹介されている。こちらでは、信長が脇差で刺したのは「餅」から「饅頭」に変更されており、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」でも、このシーンを演出するにあたって饅頭のほうを使っている。
