「いやあ、本当に居心地よかったですよね。スキー部、野球部、バイクのツーリングクラブ。あとは宴会大好きが集まる温泉友の会。そこに所属していまして、みんな仕事も遊びも一生懸命やるんです。親父から、『仕事と遊び、どっちをしに会社行ってるんだ』と言われたことがあるんですが、『両方だ』って(笑)。まあそれくらいメリハリの利いた職場でした」(勝田駅長)
ちなみに、結婚したのも子どもが生まれたのも車掌時代。埼玉医科大学病院で次女が生まれる直前は、ちょうど越生線の乗務中だったという。「私にとっては幸せな思い出が深い路線です」。
越生線も車掌として乗務していた
当時は車掌一筋で鉄道マン人生を全うするベテランも珍しくなかった時代。ただ、世紀をまたぐころには事情が少しずつ変化する。管理者に昇格する同期の姿などを見ているうちに、勝田駅長もその道に進みたいと思うようになった。
「あいつがなったんだから俺も、って(笑)。それで試験を受けて合格し、1999年10月から東上線霞ケ関駅に助役として1年間。その後は東上業務部で12年半働きました」(勝田駅長)
