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台湾映画の歴史を掘り起こし続けてきた日本人研究者の半生、その原点は「仙人になろうと思って台湾へ来た」

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台湾映画を研究している川瀬健一さん
台湾映画の歴史を追い続けて日本にも伝えてきた川瀬健一さん(筆者撮影)
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当時の台湾はまだ戒厳令下です。私が行く少し前までは、飛行機が着陸するときに窓を閉めさせられたそうです(注:飛行場が軍民両用だったため)。私が初めて行った時は窓を閉めることは求められませんでしたが、空港に近づくと上空から写真を撮ってはいけないという放送がありました。飛行場で写真を撮るとスパイ扱いされるような時代でした。

初めての台湾では2週間滞在しました。飛行機の中で入国カードの書き方がわからず、日本のパスポートを持っている男性に教えてもらいました。私はカメラを3台持っていたのですが、「そんなに持っていたら怪しまれる。入れないかもしれない」と言われ、実際、税関では雨合羽のようなものでも一つひとつ広げられ押さえられ、隠し物がないか調べられました。

ホテルでも、チップの相場がわからない。両替の女性に聞くと「100元あげたら喜びますよ」と言われ、100元を渡したら、相手が飛び上がって喜んだ。あとでわかったのですが、当時のチップは10元、高くても20元ぐらいだったんです。私はいいカモだと思われたのでしょう。荷物を運ぶ人、お茶を持ってくる人、シーツを替えに来る人に、次々とチップを渡すことになりました。

初めての台湾は、親切な人にも会いましたし、ずいぶん高い買い物もさせられました。良いことと悪いことが半分ずつでしたね。

――それでも台湾への印象は悪くならなかったのですか。

ものすごく良かったです。困ったことも多かったけれど、親切にしてくれる人も多かった。だからまた来るようになったんです。

台湾で育ち、台湾の歴史や風俗を題材とした作品を多く残した西川満さんとは、86年台南市文化基金会から西川さんへ栄誉の盾を贈る手助けをするなど深い縁を得ることができました。

東洋思想の雑誌が、台湾の歴史と映画へ広がっていった

――東洋思想研究所の雑誌が、やがて台湾研究の内容を含むようになっていきます。

75年に東洋思想研究所を始め、5年後の80年に初めて台湾へ行きました。台湾へ通うようになると、雑誌にもお金がかかるし、台湾にもお金がかかる。最初の『東洋思想』は9号までで一区切りにしました。その後、少し余裕ができて第2期を出し、全部で40数冊から50冊近くになったと思います。

その内容が、だんだん台湾の歴史、歌手、映画へと広がっていきました。台湾へ行くたびに、映画人、作家、カメラマンに会うようになったからです。脚本家の呉念真さん、映画監督の王童さんや侯孝賢さん、作家の黄春明さん、カメラマンの林賛庭さんや林鴻鐘さんをはじめ、多くの映画関係者の方々と長くお付き合いをさせていただきました。

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