しかし幻だったら、それらの鍋を楽しめる機会はあまりなかったのではないか。鶏肉もめったに食べないごちそうだったはずだから、鍋を囲むのはさぞかし特別な場面だったのだろう。
私はあれから料理のレパートリーが増え、今は人工栽培で大量生産されたマイタケを味噌汁や炊き込みご飯、肉野菜炒めの具材など、好きなように使っている。年中楽しんでいるが、秋のマイタケ炊き込みご飯は、香りを生かせることもあって格別のおいしさである。
農業県の水菜とメロン(茨城県)
関西に住んでいた頃、スーパーの野菜や果物に貼られたラベルに書かれる産地名は、近畿2府5県、四国、中国地方が中心だったが、1999(平成11)年秋に東京へ移り住んでからは、それが関東1都6県、山梨や長野、東北地方になった。その中でなぜか印象に残るのが、茨城県産の水菜とメロン。本項では、その理由と共にこの2つの農作物について書きたい。
私が大阪から東京へ拠点を移した時期は、大阪を代表する企業の本社機能の東京移転や吉本興業の東京進出の本格化と重なり、私は勝手に「関西人の大移動」が起こった時期、と言っている。しかし、同じ時期に関西でおなじみの水菜が茨城へ進出したのは、偶然だったようだ。
水菜は関西時代、鍋ものの定番具材として親しんでいた。大阪では鯨を入れた「ハリハリ鍋」の必須食材と言われていたが、鯨肉が廃れていく時代に育ったせいか、私は食べたことがない。「水菜は男に見せ(る)な」という慣用句を思い出し、インターネットで検索すると「青菜」になっている。
「水菜」は関西のローカル表現なのか。いずれにしても、菜っ葉は火を通すと大幅にかさが減るので、料理しない男性に「あんなにたくさんあったのに、どこへやったんだ」と咎(とが)められるので面倒、という意味と教わった。
茨城県の農業応援サイト『万農王国いばらき』の説明では、メロン農家の高齢化に伴い、あまり手がかからず栽培できる作物としてたまたま選ばれたのが水菜だったらしい。
農畜産業振興機構の『月報 野菜情報』2023(令和5)年12月号の記事によると、栽培が始まった時期は1996年。行方(なめがた)市の生産者が、市場から紹介されて導入し、漬けもの用として販売していた。
2001年に東京青果株式会社から「大手量販店が新しい産地を探している」とすすめられて栽培を本格化させた。日本経済新聞2013(平成25)年9月23日配信記事では、東京青果の仕掛けで首都圏のスーパーで売れ行きが伸びた、とある。さらに2002年にキユーピーが水菜とエビのサラダにマヨネーズをかけるCMを放映し、一気に全国区になったらしい。
日経の記事が出た2013年、すでに茨城県は水菜生産量が全国一になっており、その地位は現在まで不動である。何しろ全国で生産される水菜の約半分が茨城産なのだ。
メロン農家が水菜農家に転身したのなら、メロン栽培が減少してもおかしくないが、茨城県はメロン栽培でも全国一の生産量を誇る。一庶民としてありがたいのは、他県産のメロンはスーパーで1玉1000円近くするのに対し、茨城県産は1玉600円以下が多かったこと。しかし、ここ数年はハウスで使う電気代が上がっているせいか、他県並みに価格が上がってしまった。
ちなみに、茨城のメロン栽培は、1962(昭和3)年に旭村(現鉾田市)と八千代町でプリンスメロンを、昭和50年代にアンデスメロンを導入して広がった。水はけがよく温暖な気候が向いていたそうだ。この2つの食材が気になるのは、東京で水菜が買えるようになった驚きがあり、メロンはお手頃価格で目立つからだと思う。
茨城が農業県だと納得するのは、たまに出向くときである。20年ほど前、鹿嶋市に住んでいた友人宅へ東京駅からバスで行った際、道中がほぼ平らな地域だったのに驚いたことがある。
