なかでもハッとさせられたのが、亡き息子・翔の姿をしたヒューマノイドと歩く場面だ。
「線路のところで、子どもを先に歩かせて追いかけている場面とかは、『ああ、わしやけどわしやないな』という感じがしましたね」
その違和感こそ、映画が大悟から引き出したものだった。
前に出ず、作り込まず、ただそこにいる。
言葉にならない業と、父親としての哀愁が、冷えた空気の中に静かに滲んでいた。
「変えられないのが、家族なんやな」
物語が問いかけるのは、家族とは何か、喪失とどう向き合うのかということでもある。
では、この作品に3カ月向き合った大悟自身の家族観は変わったのだろうか。
そう尋ねると、大悟は少し考えて、こう答えた。
「家族をテーマにした映画に出させていただいて、3カ月間、いろいろ考えさせられました。『こういう思いがあるのか』と感じることもあり、実際に完成した映画も素晴らしくて、考えさせられることはたくさんありました」
だが、そこでわかりやすく「家族の大切さに気づいた」とは言わない。
「でも、それでも家族への在り方を変えられないのが、家族なんやなと思いましたね。この映画をやったから、家族に対する何かを変えたということはないですね」
――ご家族の反応はありましたか。
「いや、家族はまだ見ていないんです。見たら何て言うんでしょうね。まあ、帰ってきて『嘘つけ』って言うんじゃないですか(笑)」
