このように、アメリカの大学への出願にあたっては、「スポーツ活動」はほぼ必須項目ですが、「アートの活動」も重視されます。
たとえば、少し以前になりますが、2000年代にプリンストン大学の学部長クラスの教授から聞いたところでは、「願書の中にアートに関する活動歴、あるいは関心というのが入っていないと、非常に不利になる」とのことでした。
その後、時代は変わっていますが、おそらくこのルールは今でも適用されていると思われます。
ただ、アートといっても幅は広く、たとえば音楽の場合は、クラシックだけでなく、アメリカですからもちろんジャズでもロックでもいいのです。それこそ、高校生が仲間とガレージバンドを組んで、カフェでライブをやったといった実績もちゃんと評価されます。
アメリカの高校では、通年の部活動や選択科目のほかに、「ミュージカル活動」というのがあって、毎年1回、オーディションをして役を振り、かなり本格的なミュージカル上演を行います。そうした活動に参加した履歴も重視されます。
歌とダンスを鍛えて演者になるだけではありません。裏方にあたる大道具係や照明係も花形とされて、高校生は熱心に取り組むし、それが願書でも評価されます。
アートの素養がなぜ大事なのか
どうしてアートの素養が大事なのか? そこにはさまざまな理由があります。
まず、アートというのは主観的で直感的なものです。ですが、何のスキルもない子どもの絵には、子どもの絵である以上の価値はないように、熟練したスキルや一貫した美学がないと、作品は人の心には響きません。
そのような「主観と客観」や「直感とその裏の深いスキル」など、アートというものは、人間のコミュニケーションのなかでは、かなり複雑な部類に属します。
つまり、アートを理解することで、「人間とは何か」という問いへの答えに近づくと言ってもいいと思います。何よりも、単純な知的作業をどんどんAIが奪っていくなかでは、アート、つまり「美しさ」をつくり出し、評価し、楽しむという行動は、人間の役割としてますます重要になっていくのは間違いありません。
それ以前に、アートについて語るというのは、知的な大人の社会における雑談の最高の話題になります。そのコミュニティに入れることが、その人の人間性を他人にアピールするのに役立つということもあります。
特に、大学教育というのは高度な専門性を学ぶ場であり、専門性を修得した人材は「専門職」としての人生を歩んでいきます。
その人生の歩みのなかで、余暇の過ごし方として、スポーツに加えて、アートが入ってくるというのは大切です。
絵を描く、または絵を見る、音楽を演奏する、または聞く、文学に親しむなど、アートを趣味として持つことは、「人生のメリハリ」をうまくつくってくれるからです。

