扁桃体が目の前の明確な脅威に、火災報知器のようにすばやく反応するのに対し、分界条床核は、危険の正体がまだはっきりしない段階から警戒レベルを高く保ち続ける特性があります。
言い換えれば、恐怖が「あの犬が怖い」という対象への明確な拒絶反応だとすれば、不安は「何か悪いことが起きそうだ」という、対象の定まらない予感的な警戒が続いている状態なのです。
サバンナの環境であれば、危険が去れば恐怖もひとまず収まりました。けれど現代では、メールの返信、将来のキャリア、老後の不安、人間関係のぎくしゃく、SNS上の評価など、対象の定まらない警戒が途切れにくいため、脳は「危険が消えた」と判断できなくなり、警報を鳴らし続けてしまうのです。
ここでも大切なのは、こうした状態にある自分を責めないことです。不安が消えにくいのは、あなたが弱いからではありません。
もともと「いつ現れるかわからない曖昧な危険」を長く見張るために備わった防衛本能が、情報過多の現代でフル回転しているだけなのです。その結果として、私たちは疲れやすくなり、常にどこか落ち着かない感覚を抱えやすくなっているのです。
「集団から孤立すること」が死に直結していた時代
こうした脳の性質は、物理的な危険を避ける場面だけでなく、人間関係の中でも強く働きます。
サバンナの時代、人類にとって猛獣以上に重大な脅威だったもの。それは「集団から孤立すること」でした。1人では食糧の確保すらままならず、就寝中に外敵に襲われるリスクも飛躍的に高まります。病気や怪我の際に助けが得られないことは、文字通り「死」を意味しました。
仲間外れや拒絶が、現代の私たちが想像する以上に、生存に関わる深刻な緊急事態だったことは容易に想像できます。そのときに社会的な警報として働くのが、罪悪感や羞恥心です。
どちらも私たちにとっては不快な感情ですが。これはただ単に自分を苦しめるために備わっているわけではありません。むしろそれは、「このままでは集団の中での立場が危うい」と知らせる社会的な警報なのです。
たとえば、誰かを傷つけることを言ってしまったあとに、「あんなことを言わなければよかった」と胸が重くなる。これが罪悪感です。一方で、人前で失敗したり、みっともない姿をさらしてしまったりしたときに、「消えてしまいたい」と感じる。こちらが羞恥心です。
