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天下統一を目前にして倒れた織田信長 「冷徹さ」「残酷さ」「先進性」のいずれも、実はそんなでもなかった"3つの論証"

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信長を彩るエピソードの多くは、他の戦国大名にも当てはまるという(写真:kumayosi/PIXTA)

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もし信長が本能寺で討たれずに生きていればどうなったのか? 後世の期待と想像はやまないものですが、桶狭間の大勝利や比叡山の焼き討ちなどから作られた「異端児・信長」のイメージは、いささか誇張され過ぎているものだということをご存じでしょうか。
ここで本稿では、静岡大学名誉教授・小和田哲男氏の監修書『日本史 格下げ偉人と格上げ偉人』から一部を抜粋・編集する形で、信長をめぐる派手なエピソードの多くが、実は信長特有のものではなかったことを検証していきます。

そもそも「尾張」自体がレアなカードだった

織田信長の華々しい戦歴の第一歩といえば、やはり1560年の桶狭間の戦いだ。このとき信長の手勢が3000人、対する今川義元の軍勢は2万5000人といわれる。

そして、尾張(現在の愛知県西部)1国を支配する信長が27歳の若さで、駿河(現在の静岡県中部)、遠江(現在の静岡県西部)、三河(現在の愛知県東部)の3国を支配する今川義元に勝ったのだ。

多くの人が「歴史的な大勝利だよな」と思うだろう。ところがだ。国力の差に注目すると、じつは両者にそれほど極端な差はなかったという見方がある。

戦国時代の各地の国力を測るのは、石高(米の生産量)だ。

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