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天下統一を目前にして倒れた織田信長 「冷徹さ」「残酷さ」「先進性」のいずれも、実はそんなでもなかった"3つの論証"

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信長を彩るエピソードの多くは、他の戦国大名にも当てはまるという(写真:kumayosi/PIXTA)
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つねに逆らう者は許さないとは限らず、「コイツは使える」と思った相手は敵に回さない方針も採っているのだ。

寺社への弾圧は中世なら日常茶飯事

続いて②。寺社への弾圧の先例はけっこうある。そもそも、中世の寺社は広大な荘園を持つ領主でもあり、多くの武士を雇い入れて武装していた。ことに比叡山延暦寺は、すでに平安時代の末期から平家と衝突したり、南北朝の争いに介入して後醍醐天皇に味方したり、室町幕府とも敵対した。

だから、信長の比叡山や一向宗への焼き討ちも、神も仏も恐れない宗教弾圧というより、敵対する地方領主との戦闘の一種と見なせる。

それに、宗教弾圧と残虐行為の先例ならば、室町幕府の第6代将軍である足利義教も負けていない。

義教は将軍になる前、一度出家して天台座主を務めていた。還俗して将軍になってからも比叡山延暦寺を自分の支配下に置こうとし、延暦寺の僧が逆らおうとすると、容赦なく門前町を焼き払ったり、大量の僧を斬殺させている。

また、義教を批判した日蓮宗の僧である日親は、焼けた鍋を頭にかぶせられたうえ、口ごたえできないように舌を切られた。義教の所業は存命中から「万人恐怖」と評されている。戦国期に入る前から、室町時代にはこの手の暴力が横行していたのだ。

そして③。確かに信長は鉄砲を導入したり、地球儀や時計といった西洋の品々も愛好し、加えて商業都市の堺を保護して経済活動を盛んにした。けれども、これらも信長だけに限らない。

信長に先立ち、1549年より10年あまり室町幕府から実権を奪って畿内を支配下に置いた三好長慶も、堺の商人を保護して西洋との貿易を振興している。鉄砲は紀州(現在の和歌山県)の雑賀衆などの勢力も多用していたし、豊後(現在の大分県)の大友宗麟や、陸奥の伊達政宗らも西洋人との交流に力を入れた。

さて、信長は美濃を平定したのち、京都への上洛をめざし、1567年から「天下布武」の印を書状に使い始めた。これは天下統一への野心を示したものといわれる。

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