ただし、この段階ではまだ、尾張と美濃の2国しか押さえていない。そして実際、当時の感覚ではけっして「天下=日本全土」ではないのだ。
「天下布武」はわりと狭い意味だった
日本に来たイエズス会の宣教師の書簡では、「天下」という語句が京都とその周辺、つまりは「将軍と天皇がいる都とこれに隣接する畿内の諸国」という意味で使われている。
信長が「天下布武」の印を押してほかの大名に送った書状も、普通の情報交換のような内容が大部分で、べつに「オレが日本全土を制覇する!」といったアピールはうかがえない。
ゲームの『信長の野望』シリーズの影響もあって、戦国時代後期の有力な大名はみな日本全土の統一を狙っていた……と思われがちだ。
けれども、これは実像とは異なる。信長は当初、第15代将軍の足利義昭を奉じて室町幕府による天下(畿内)の秩序を回復させるつもりだった。1570年には義昭に「天下の儀」は自分が引き受けたと述べているが、これは現在では、畿内の統治を意味するという見方が有力だ。
しかし、のちに義昭と決裂する一方、甲斐(現在の山梨県)の武田氏や、一向宗に対する勝利のめどがつくなかで「このまま日本全土いけるんじゃね?」と考えを変えた可能性も高い。
――このように、案外と信長も慎重だったり、戦国時代の価値観に照らし合わせると、そこまで特異な存在ではなかったと考えることができる。それでも、今日までエンタメ作品で信長の人気が根強い要因の1つは、1582年に起こった本能寺の変での突然の死だろう。
志なかばで倒れたゆえにこそ、「もし信長が本能寺で討たれずに生きていればどうなったのか?」と、後世の期待と想像はやまない。

