東洋経済オンラインとは
キャリア・教育

天下統一を目前にして倒れた織田信長 「冷徹さ」「残酷さ」「先進性」のいずれも、実はそんなでもなかった"3つの論証"

6分で読める
信長を彩るエピソードの多くは、他の戦国大名にも当てはまるという(写真:kumayosi/PIXTA)
2/4 PAGES
3/4 PAGES
4/4 PAGES

ただし、この段階ではまだ、尾張と美濃の2国しか押さえていない。そして実際、当時の感覚ではけっして「天下=日本全土」ではないのだ。

「天下布武」はわりと狭い意味だった

日本に来たイエズス会の宣教師の書簡では、「天下」という語句が京都とその周辺、つまりは「将軍と天皇がいる都とこれに隣接する畿内の諸国」という意味で使われている。

『日本史 格下げ偉人と格上げ偉人』(宝島社)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

信長が「天下布武」の印を押してほかの大名に送った書状も、普通の情報交換のような内容が大部分で、べつに「オレが日本全土を制覇する!」といったアピールはうかがえない。

ゲームの『信長の野望』シリーズの影響もあって、戦国時代後期の有力な大名はみな日本全土の統一を狙っていた……と思われがちだ。

けれども、これは実像とは異なる。信長は当初、第15代将軍の足利義昭を奉じて室町幕府による天下(畿内)の秩序を回復させるつもりだった。1570年には義昭に「天下の儀」は自分が引き受けたと述べているが、これは現在では、畿内の統治を意味するという見方が有力だ。

しかし、のちに義昭と決裂する一方、甲斐(現在の山梨県)の武田氏や、一向宗に対する勝利のめどがつくなかで「このまま日本全土いけるんじゃね?」と考えを変えた可能性も高い。

――このように、案外と信長も慎重だったり、戦国時代の価値観に照らし合わせると、そこまで特異な存在ではなかったと考えることができる。それでも、今日までエンタメ作品で信長の人気が根強い要因の1つは、1582年に起こった本能寺の変での突然の死だろう。

志なかばで倒れたゆえにこそ、「もし信長が本能寺で討たれずに生きていればどうなったのか?」と、後世の期待と想像はやまない。

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

キャリア・教育

人気記事 HOT

※過去1週間以内の記事が対象