『数字まみれ』:7や666などの神秘性
経済や福祉の専門家であるミカエル・ダレーンと消費心理学を専門とするヘルゲ・トルビョルンセンの共著、『数字まみれ:「なんでも数値化」がもたらす残念な人生』は、人類が数字とどのように付き合ってきたかを遥か昔から論じるスタイルをとる。
同書によれば、およそ3万年前のものとされるオオカミの骨に刻まれた5つずつの傷跡こそ、いにしえの人類が計算を試み、数字を用いていた営為の証拠なのだという。
その後、数字を用いた技術は発展を続け、今日では英語をしのぐ人類の「共通言語」として君臨している。今日において数字は客観的な情報、問答無用の「エビデンス」として扱われているが、長い人類史に目を転じればそうではなかった。
数字は神秘的なヴェールをまとい、時に人々を惑わせてきた点も見逃すべきではない。たとえば、都市伝説や陰謀論でもお馴染みの「666」という数字は新約聖書、「ヨハネの黙示録」がその出典であり、忌むべき数字として知られてきた。
この数字が登場するのは、「ヨハネの黙示録」の第13章である。この章は、角を10本、頭を7つ持ち、それらの角に10の冠を有する怪物が海から上がってくる描写から始まる。10本の角は10人のローマ皇帝を、7つの頭はローマの象徴である七つの丘を指していると言われている。
つまり、「黙示録の獣」の正体は、当時キリスト教を迫害していたローマ帝国そのものである。「反キリスト」を体現するこの獣の名であり象徴こそが、「666」の数字であった。「ヨハネの黙示録」には以下のようにある。
以来、「666」は悪魔の数字として忌み嫌われ、時に陰謀の象徴として扱われてきた。
