車で来店する買い物客にとって、駅前の限られた駐車場よりも、広い駐車場を備えた郊外型施設のほうが利用しやすい。
その流れを決定づけたのが、2009年開業のイオンモール土浦である。店舗面積は7万9682平方メートルで、モール505の約21倍。土浦駅から車で約10分の郊外に立地し、市内最大級の商業施設となった。
URALAは商業施設から公共機能を担う建物へ変わった
そうした郊外化が進行する中でも、土浦は駅前再開発を続けていた。その代表が、駅前再開発事業「URALA」である。1973年に構想が始まり、1997年に完成するまで24年がかかった、土浦市政の中でも長期にわたる事業だ。総事業費は約330億円に上る。
完成までの24年間で、URALAの中核に入る予定だった事業者は、少なくとも3回入れ替わっている。
最初に予定されていたのは、百貨店の「そごう」だった。1985年のつくば科学万博と同時期に開業する計画だったが、各種の調整に時間を要して間に合わないと判断され、1985年12月にそごうは出店辞退を申し出ている。
これは、土浦商工会議所が駅前を「地盤沈下」と表現する約1年3カ月前のことだった。そごう辞退後、URALAの計画は組み直される。次に入居予定となったホテルも、1993年に撤退。1994年には住宅と広場が計画に追加された。
そして1997年、ようやく完成したURALAの中核テナントは、大型スーパーのイトーヨーカドーだった。売場面積は2万600平方メートル。駅前から移転してきた形で、当初の「百貨店中心」とは異なる構成になった。
しかし、そのイトーヨーカドーも2013年に撤退。空いた区画には、2015年から土浦市役所が移転した。
百貨店を核にした再開発として始まったURALAは、計画期間中に「ホテル」「住宅」「大型スーパー」へと中核機能を変え、完成から16年後には市役所を抱える建物になった。
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【土浦が立てていた将来戦略】
