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キャリア・教育 #戦国最強の兄弟の軌跡

「天地に響き渡るほどの凄まじい銃撃戦」大河ドラマ『豊臣兄弟!』快進撃の織田信長を支えた"新兵器"の正体

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銃
三好三人衆に対峙した際の兵器は火縄銃とは別物だといいます(写真:山口トマト / PIXTA)

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大河ドラマ「豊臣兄弟!」が三方ヶ原の戦い・足利義昭の追放・朝倉氏の滅亡・小谷落城(浅井氏滅亡)と高速で進行したので、何度か補足解説をすることがあってもいいのかもしれません。ここでは「豊臣兄弟!」には未だ登場していないと思われる織田信長の「新兵器」について見ていきましょう。

姉川の合戦後、信長は怒涛の日々

元亀元年(1570)6月、姉川の合戦において、織田信長は浅井・朝倉の連合軍を打ち破ります。戦後、信長は浅井方の横山城(滋賀県長浜市)を開城させ、そこに家臣・木下藤吉郎(秀吉)を置くのでした。

7月6日に上洛した信長は、将軍・足利義昭に戦況を報告。その2日後には、岐阜に戻ります。しかし、信長に心落ち着く時はなかったかもしれません。同年7月下旬には、敵対する三好三人衆とその与党が、四国から摂津国まで進出してきたからです。

そうした動きがありながらも、信長が大坂方面に兵を出したのは『信長公記』(信長の家臣・太田牛一が書いた信長の一代記)によると「八月二十日」のことでした。

1カ月ほど経過しています。迅速に動くのを常とする信長にしては遅い対応です。その理由については定かではありませんが、1つには勝利したとしても姉川合戦の「後遺症」「痛手」というものが影響を与えていた可能性もあるでしょう。

8月20日に出兵した信長は、同日、近江国横山に陣を置き、21日も同地に滞在。22日は近江の長光寺に宿泊し、翌日には都の本能寺に滞在するのでした。24日まで本能寺にいた信長は、25日になって、いよいよ「南方」に向けて出陣。淀川を越えて、枚方の寺院に陣を取るのです。

敵が立て籠っている野田・福島(大阪市内)に兵を差し向けたのは、27日のことでした。

先陣は、敵陣に近い、天満が森・川口・渡辺・神崎・上難波・下難波などに布陣。信長自身は天王寺におりました。

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【信長の兵器】

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