NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、天下人・豊臣秀吉の弟である豊臣秀長を中心に、戦国時代のど真ん中で天下統一を果たした兄弟の軌跡にスポットライトがあてられています。そんな2人にまつわる物語を史実に沿って紹介する連載「戦国最強の兄弟の軌跡」。今回は、信長による伊勢攻めでの秀吉の活躍を解説します。
伊勢国は東海道を擁する要所
永禄12年(1569)8月20日、織田信長は伊勢国に出陣します。信長は同日に桑名まで進軍。翌日には、鷹狩りを行っています(『信長公記』)。
伊勢国は東海道を擁する要所であり、信長としては押さえておきたい国でした。同国には「伊勢国司」北畠具教(きたばたけ とものり)がおりましたが、一族はまとまらず、弟の木造具政(こつくり ともまさ)は具教から離反、信長に通じたのです。北畠氏は木造氏を攻撃しました。
伊勢にいた織田方は、木造氏に加勢し、ついに信長自らの出陣となったのでした。
出陣した信長は、同月23日には木造に着陣しています。その3日後、織田方による北畠方への攻撃が始まります。
北畠方の阿坂城(三重県松阪市)を攻撃したのですが、それを担ったのが木下藤吉郎(秀吉)でした。
『信長公記』によると、先陣の秀吉軍は、城の塀際まで攻め寄せます。ところがその時、秀吉は敵方からの攻撃により負傷してしまいます。よって秀吉軍は一時、後退。『信長公記』には秀吉がどのように負傷したかの詳細は記載されていません。
ちなみに『武功夜話』(尾張国の土豪・前野家の動向を記した覚書、軍記。史料的価値には疑義が呈されている)にも秀吉が伊勢国に出陣したことが記されています。『武功夜話』によると、秀吉の弟「小一郎」(秀長)も秀吉軍に加わっていたとあります。
では、同書には阿坂城攻めはどのように記されているのでしょうか。
まず、同城は、なかなか「堅固」な城構えだったとあります。立て籠もるは、木造兵庫介。
秀吉軍は、滝川一益軍に「合力」し、総構えに討ち入りますが、前述したように、城は堅固。同城を攻めあぐみます。そこで秀吉は、蜂須賀小六・前野将右衞門らを呼び寄せ「御軍議」を開くのでした。
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【1人の「小坊主」がやってくる】
