『勢州軍記』により、秀吉の負傷の詳細が判明しました。ちなみに『信長公記』『武功夜話』『勢州軍記』には、伊勢攻めにおける小一郎(秀長)の活躍などは記されていません。
開城した阿坂城には滝川一益の軍勢が入ることになります(『信長公記』)。
信長がついに伊勢国を制圧
その後、織田軍は周辺の小城には目もくれず、伊勢国司・北畠具教がこもる大河内城(松阪市)を包囲。
まず、町を焼き払い、8月28日に諸将を布陣させます。秀吉は「西」に布陣しています。布陣後、織田軍は鹿垣を二重・三重に巡らせ、通路を塞ぐのでした。
城攻めは9月8日に始まります。信長は稲葉良通・池田勝三郎・丹羽長秀の3人に「西搦手の口より夜攻」(西の裏門からの夜討ち)を命じました。
攻撃は開始されますが、織田方にも死者が出ます。雨が降り、鉄砲が使用できなかったことも織田方にとってつらいことではあったでしょう。
しかし、信長は同城を兵糧攻め「干殺」(『信長公記』)にする目算でしたので、心中に余裕はあったはずです。北畠方に織田方につく者も出て更には「餓死者」も現れたことで、北畠具教は降伏します。信長は伊勢国を掌中にしたのでした。
(主要参考文献一覧)
・桑田忠親編『豊臣秀吉のすべて』(新人物往来社、1981年)
・藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社、2007年)
・池上裕子『織田信長』(吉川弘文館、2012年)
・渡邊大門『秀吉の出自と出世伝説』(洋泉社、2013年)
・桐野作人『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』(新人物文庫、2014年)
・濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)
