1984年春、パキスタン北西辺境部のペシャワールへ、ハンセン病の医療活動に向けて旅立とうとしていた中村さんに、次のような「批判」が寄せられた。
「国内でもすべきことは沢山あるのに、なぜ外国までわざわざ出かけようとするのか」「現地には現地のやり方があり、彼らが自力で解決すべきで、外国人が親切の押し売りをするのは疑問である」(ペシャワール会報2号より)
中村さんは、いちいち反論しないとしつつ、次のように応じている。
「人は何処にあっても、どんな立場であっても、それぞれのやり方で、それぞれの重荷を負い合って生きてゆくよう召され(役割を与えられ)ている。これがわたしたちの出発点であり、くりかえし、立ちかえってゆくべき共通点。それは、あらゆる立場、あらゆる国境を越えてすべての人間に及ぼされるものであります。『医療が金にかえられない仕事(医は仁術)である』という倫理観もここからきています」(同前)
世界をかろうじて破滅から守っているもの
さらに「現地のことは現地に。親切の押し売りをするのか」という批判には、「すべての『繁栄』というものは、弱者の犠牲のうえに築かれたことを否定するものはいますまい。もし日本に平和と平等があるのだとすれば、それは、コップの中の平和と平等である。その中にあるわたしたちが、『自力更生が原則である』といって、自ら何もしなければ、それは結局『人のことまでそうかまっておられるか』という態度の別の表現でしかない」と切り返し、「援助」については次のように記した。
「われわれの『援助』が『お恵み』ではなく、自助を助けるものであるべきことはいうまでもありません。世界が金と力で動かされ、利己主義や敵意、我執や妬みで満ちているとはいえ、この世界をかろうじて破滅から守っているのは、このような『支え合う』という善意の努力かもしれません」(同前)
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