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廃トンネルでワインや日本酒を熟成する――そんな前代未聞のビジネスを始めたのは、鉄道系の広告会社だった。舞台は大阪と奈良の県境に眠る「旧生駒トンネル」。コロナ禍で本業が落ち込む中、2人の社員が手探りで挑んだプロジェクトには、失敗の連続が待ち受けていた。広告会社は、廃インフラに何を見出したのか。
110年前の信念から生まれたインフラ
大阪府東大阪市と、奈良県生駒市の境。生駒山を東西に貫く旧生駒トンネルが開通したのは、1914年(大正3年)のことだ。当時としては国内で2番目に長いトンネルだった。
ルート選定の際には、山を迂回して南側を通るか、山を登るなどの案もあったという。だが、当時の近鉄(元、大阪電気軌道)の代表は、一番お金と危険を伴う、山を貫く方法を選んだ。「鉄道というのは、最短距離でもっとも効率良く人々を運ぶものだ」という信念があったからだ。
しかし、掘削中の落盤事故で19人が死亡したほか、出水や地質の問題にも悩まされた。開通後も、トンネル内で車両火災やブレーキ故障による暴走追突事故が重なり、多くの犠牲者が出た。
そして1964年、車両の大型化によりトンネルは封鎖されたが、解体はされず、現役路線の避難経路として今も役目を担い続けている。
その「空きスペース」に思わぬ新たな役目が加わったのは、コロナ禍をきっかけとした鉄道系広告会社の模索だった。
「何かしなければ」コロナ禍で追い詰められた広告会社
2020年夏、新型コロナウイルスの影響で鉄道利用者が減少、近鉄グループの広告会社 アド近鉄(大阪市天王寺区)は苦しい局面に立たされていた。交通広告など、本業の売り上げが落ち込んだからだ。
当時、同社の成長戦略部門にいた音川峰行さんも、「何かしなければ」ともがいていた。
そしてある時、上司から「生駒山に、昔のトンネルがある」と聞かされる。
「何か活用できるかも」と思って調べてみると、トンネルはまったく使われていないわけではなかった。隣に掘られた新トンネルの避難経路として、役目を担っていたのだ。
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【しいたけ栽培を試みるも失敗…試行錯誤が続く】
