「あの頃は社内でも、『会社のロゴマークを赤から青にした方がいいんじゃないか?』という、冗談混じりの意見が出てくるようになっていました。そこへ、『このまま青だけ売っていればいいわけじゃないぞ』と、社長から強烈なメッセージが出されたわけです」
「赤箱」を大切に思い、葛藤を秘めていた社員たち
そのとき、「なんで今更」という反応は、社内から挙がらなかったと言う。その理由は、もともと「赤箱」を大切に思う社員が多く、「このままでいいのか」という葛藤を秘めていた人間が少なくなかったからだ。従来の諦めムードから一転、全社的に「『赤箱』をもう一回復活させるぞ」という空気に変わっていった。
しかし、ここで一つ疑問が浮かんでくる。それだけ社内で愛されている商品ならば、なぜ1990年代以降の営業不振から約20年もの間、改革がなされなかったのだろうか。藤松さんによると、その要因は3つあった。
1つ目は、「『赤箱』が社内で神聖化されていた」ことだ。会社の顔とも言える「赤箱」には、「原則、デザイン変更禁止」という暗黙のルールがあった。「少し手を加えたい」と言おうものなら、「社長の承認は得ているのか!?」とすぐ大事になっていたらしい。
「これには社内に伝わっている、あるエピソードも関係していまして……。1974年(昭和49年)のオイルショックの頃に、『世の中をちょっと明るくしたい』とパッケージをピンク色にした時期があったんです。すると、お客様から『赤箱の偽物だ』と認識されてしまい、売り上げが下がったそうで……。赤いパッケージのデザインこそが『赤箱』だ、とお客様に認識されていることから、社内では『触れられない』という意識が高まってしまったのではないかと思います」(同社コーポレートコミュニケーション部、田原さん談)
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【「赤箱愛」が強すぎ、改革の足枷となる】
