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「置いても売れないと小売店が敬遠」「社内でも神聖化されていた」…牛乳石鹸「赤箱」が「青箱」に"食われていた"納得の事情

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牛乳石鹸共進社が製造する「赤箱」は1928年に発売されました(写真:牛乳石鹸共進社)
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当初、「西は赤箱、東は青箱」と販売エリアがはっきりと分かれていた。しかし、コスパの高い「青箱」は、首都圏の人口増加とともに、みるみるうちに売り上げを拡大。しばらくすると、西日本でもシェアが拡大し、1997年(平成9年)には「赤箱」に勝るほどに成長していた。

「もう赤は売れないよ。青を売っておけばいいじゃない」

2005年(平成17年)、東京の営業部門に所属していた藤松さんは、「小売店の担当者に『赤箱』を提案しても、ことごとく断られた」と振り返る。

「当時から、『青箱』のバスサイズ3個パックという、お買い得感の強いアイテムが戦略的に出されていたんです。そのため、加速度的に販売数が伸びていきました。会社としても『青箱のバスサイズを中心に売る』という方針だったので、悪いことをしている感覚もありませんでしたね。結果的に、安売りする状態になってしまってはいましたが、売り上げは取れているので、ある程度良しとされていました」

2002年を境に、「青箱バスサイズ」が「赤箱」の売り上げを上回った(写真:牛乳石鹸共進社)

ときには追加提案が受け入れられ、「赤箱」を商品棚に入れてもらえることもあった。しかし、先方の主張通り、まったくと言っていいほど売れない店舗もあった。「赤箱」よりも、断然「青箱」の方が売れる。売れやすい商品を売った方が営業成績につながり、会社の売り上げも上がる。このとき、社内には「青箱」の販売に重点を置く条件が、見事にそろっていたのだ。

2009年(平成21年)、同社は固形石鹸市場でシェア1位を獲得した。だが、「赤箱」の売り上げは、約20年前の3分の1ほどにまで落ち込んでいた。

「神聖化」された商品に、誰も手を出せなかった

前述の社内方針が転換されたのは、2011年(平成23年)のことだ。先代社長である宮崎仁之氏の鶴の一声で、「赤箱再生プロジェクト」が立ち上がったのだ。

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【「このまま青だけ売っていればいいわけじゃないぞ」】

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