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「置いても売れないと小売店が敬遠」「社内でも神聖化されていた」…牛乳石鹸「赤箱」が「青箱」に"食われていた"納得の事情

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牛乳石鹸共進社が製造する「赤箱」は1928年に発売されました(写真:牛乳石鹸共進社)
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「広告代理店からは、『10日間で700人来たら御の字です』って言われてたんです。『メーカーがイベントを開催しても、そんなに来ませんよ』と……」

しかし、蓋を開けてみると、その予想は大きく外れた。初日だけで約1000人もの顧客が詰めかけ、約2週間の開催期間中、来場者は延べ1万2000人に上ったのである。

来場客によって、SNSでは多くの情報が拡散された。さらに、この盛況ぶりはメディアで大きく報じられた。すると、ニュースを見た小売店の担当者から「赤箱の売り場を作りたいから、店頭用の販促物が欲しい」とひっきりなしに問い合わせが入り、売り上げが急上昇。その結果、24年には過去最高の売り上げを更新したのである。

だが、この「赤箱」はかつて、関東では「店頭に置いても売れない」と小売店に敬遠されていた商品だった。年々需要が減少していた製品は、いかにして復活を遂げたのか。その理由を紐解いていく。

「西は赤、東は青」の構造が生んだカニバリ

1928年(昭和3年)に発売された「赤箱」は、高度経済成長期に「牛乳石鹸 よい石けん♪」のCMソングで知名度を高め、日用品や贈答品として重宝されていた。しかし、90年以降は贈答需要が低下。1998年(平成10年)以降は液体タイプへのシフトで、市場は徐々に縮小していった。当時の主要顧客は50〜60代。だが、新規顧客が取り込めなかったことで、売り上げは長期の下降曲線を描いていたのである。

だが、この時期に売り上げを伸ばし始めた商品があった。それが、1949年(昭和24年)に生まれた後発商品、「カウブランド 青箱」(以下、青箱)である。

「カウブランド 青箱」(写真:牛乳石鹸共進社)

かつて国内では「一県一業種、一卸し」という取り決めがあり、大阪に本社を置く同社の「赤箱」は、西日本で圧倒的なシェアを誇っていた。のちに、東日本に販路を拡大することになるのだが、すでに市場を席巻していた競合商品に勝つために開発されたのが、「赤箱」より少し安く、少し小さめの「青箱」だった。

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【「西は赤箱、東は青箱」】

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