田中に代わって90年代、米海兵隊普天間飛行場の返還などSACO合意を実現し、沖縄の基地縮小を進めたのは、派閥の長だった佐藤から復帰前の沖縄視察を命じられて、その後は田中派に属した橋本龍太郎、小渕恵三だ。2006年に在日米軍再編合意で沖縄の海兵隊の一部の国外移転などを取りまとめた小泉純一郎も自主防衛論者であり、「沖縄に限らず、米軍基地の負担を自治体は望んでいないと米国に言えばいいじゃないか」と主張していた。
国会審議を経ていない重大な安保関連合意の数々
アメリカとの同盟関係を重視しながらも、占領の遺産である米軍の駐留の縮小や解消を目指す保守指導者たちは、1951年の講和条約締結、60年の安保条約改定、そして72年の沖縄の施政権返還を実現した。
だが冷戦の激化、国際連合の集団安全保障の機能不全、野党が改憲を阻止できるよう国会の議席の3分の1を与える護憲世論などが合わさり、独立回復後も米軍は日本に駐留。安保改定後も、基地を提供する日本と米軍を駐留させるアメリカという非対称な同盟関係は変わらなかった。
占領米軍の特権を日本独立後も維持する日米行政協定は、60年に日米地位協定に全面改定された後も実質的に温存された。さらに、返還後も沖縄の大部分の米軍基地は維持され、米軍占領統治下で慣行化していた民用地での米軍訓練も続く。
独立を完成させ、対等な日米同盟を目指した保守政権だが、新たな日米合意を達成するたびに、条約とそれに付随する協定、協定に付随する議事録や交換公文をそれぞれ別個の合意に仕立て上げる。そして、一部の合意を国会の審議にかけなかったり非公開にしたりすることで、占領米軍の特権を守り続けている事実を国民の目から隠蔽した。
次の図は、国会で審議された主な日米合意だが、実際にある合意のほんの一部でしかない。

上の図に、国会で審議されなかったが、成立後に政府が公表した日米合意(※青文字)を加えると、次の図のようになる。審議を経ずに成立した日米合意の方に、より重大な内容が含まれているのがポイントだ。




















無料会員登録はこちら
ログインはこちら