「お好み焼き3000円」とインバウンド価格が批判される黒門で、《マグロ一筋90年》老舗が貫く「まっとうな商売」の信念
そういった状況のなかで、変わらずマグロを売り続ける店が「魚丸商店」(以下、魚丸)だ。三代目大将の丸山和久さんは、こう言い切る。
「この状況はもう仕方ない。どうにもできない。自分のところはまっとうに商売して、お客さんに認めてもらうだけ」
丸山さんの語る「まっとうな商売」とはどんなものか。その意味を知るには、丸山さんと魚丸が歩んできた道を紐解く必要がある。
22歳、何も教わらずに家業を
魚丸は昭和10年、現在の場所から20mほど離れた場所で、魚店として産声を上げた。昭和16年には、第二次大戦の経済統制で休業を余儀なくされるが、昭和24年に再開。昭和34年には現在の場所に移り、本格的にマグロ専門店として歩み始めた。
丸山さんの祖父である創業者の卯一郎さんは、豪快な人物だったという。当時マグロは高級魚で、今より流通量は圧倒的に少なかった。一般人が口にできるのは盆や正月くらい。おもに寿司店や料亭で使われる贅沢品だった。しかし卯一郎さんは、「地方にマグロの需要がある」と見抜き、配送を始める。良いマグロは東京・大阪に集中していたからだ。
配送方法は、フェリーや夜行列車だった。難波湊町にあった国鉄の駅まで荷物を運んでいたという。
「とはいえ、まだまだマグロの流通量が少なかった頃やから。ないときは、他の魚店からマグロを買い上げてまで売っていたそうです」
ところが卯一郎さんは55歳で急逝する。そこで急きょ、息子の丸山昇さん(丸山さんの父)は大学を中退し、21、2歳で二代目を継いだ。それ以前、父が店を手伝っていたかどうかはわからない。父子でそういった話をしたことがないそうだ。
そうして時は過ぎ、歴史は繰り返す。丸山さんもまた、22歳で三代目の看板を背負うことになったのだ。



















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