加賀一向宗との戦いはそれからも続き、78歳という高齢になっても宗滴は、討伐のために出陣。その陣中に病で倒れて、命を落としてしまう。臨終の際、宗滴は次のような言葉を遺したという。
「今すぐ死んでも言い残すことはない。でも、あと3年生き長らえたかった。別に命を惜しんでいるのではない。織田上総介の行く末を見たかったのだ」
織田上総介とは、織田信長のこと。頭角を現した信長がこれから世の中心になると、宗滴は予見していたのだ。強者は強者を知る、とはこのことだろう。
宗滴の死後、第11代の義景が政務をとるが、同盟相手の武田信玄が陣中で病死すると、信長による侵攻を受け、1573(天正元)年の一乗谷城の戦いで、敗北を喫する。
なんとか一乗谷へ退却するが、家臣たちに「天は我を滅ぼした。我が運命はまさに尽きてしまった」と嘆き、最後は自害。朝倉家は滅亡することとなった。
重臣たちが当主を支えて、安定運営してきた朝倉家だったが、ベテラン家臣たちにやや頼り過ぎたようだ。特に、宗滴が抜けた穴はあまりにも大きかった。
重臣たちのパイプ役となった豊臣秀長
大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、豊臣秀長が兄の豊臣秀吉をいかに支えたかが注目されている。朝倉家と織田家が争っていた頃、兄とともに信長に仕えていた秀長は、朝倉家の衰退からも何かを学びとったに違いない。
信長が「本能寺の変」で倒れると、秀吉が権勢を誇り、豊臣政権下に優秀な武将・文官が結集。秀長は重臣たちのパイプ役となり、安定した組織運営に尽力することになる。
【参考文献】
真山知幸著『企業として見た戦国大名』(彩図社)
杉山博編『多聞院日記索引』(角川書店)
ルイス・フロイス著、松田毅一・川崎桃太訳『完訳フロイス日本史』(中公文庫)
金松誠著『松永久秀 シリーズ・実像に迫る』(戎光祥出版)
竹内理三編『史料大成多聞院日記〈全5巻〉』(臨川書店)
太田牛一著、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
河内将芳著『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(戎光祥出版)
真山知幸著『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(日本能率協会マネジメントセンター)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら






















無料会員登録はこちら
ログインはこちら