「嫌なら辞めろ」は自由か強制か 職場や市場で直面する「見えない支配」とは 日本も無縁ではない「暴政株式会社」の罠

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踏みつけられる人物のシルエット
現代の世界で、そしてこの日本で進行する「見えない支配」の正体とは何か(写真:Prazis/PIXTA)
日本社会において、働き方や市場のあり方が根本から問われる今、私たちが直面しているのは単なる経済の停滞だけではないのかもしれない。
 私たちは「政府や公権力による横暴」には敏感だが、人生の長い時間を過ごす職場や市場といった「私的領域」で直面する脅威に対しては、驚くほど警戒を怠りがちである。 現代の世界で、そしてこの日本で進行する「見えない支配」の正体とは何か。なぜ、誰もが望んだはずの「自由市場」が最強の独裁者となり得るのか。
 原書が、哲学者スラヴォイ・ジジェクからマルコ・ルビオ米国務長官まで、政治的立場の垣根を超えた幅広い識者から異例の絶賛を浴び、このほど待望の日本版が刊行された『暴政株式会社:私的権力はいかにして自由を破壊したのか』から一部抜粋し、その巧妙なメカニズムを解き明かす。

怪物のごとき恐るべき「私的暴政」

かつてのアメリカ建国の父祖たちは、産業革命の影響が本格化する以前の時代を生きていたものの、階級間の利害対立によって自由や「牽制と均衡」といった最高の理想が台無しになりかねないことを鋭敏に認識していた。

『暴政株式会社:私的権力はいかにして自由を破壊したのか』
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彼らは、少数のエリートに富と権力が集中することが、やがて共和国の基盤を揺るがす危険性を見抜いていたのである。

ところが現代において、私たちは市場取引を政治的な「ギブ・アンド・テイク」の対象とし、一握りの資産家たちの権力に対して多数の資産なき人々が拮抗力を発揮するという視点を失ってしまった。

この状況を理解するために、中世イタリアの偉大な法学者であるバルトールス・デ・サクソフェラートが書き残した「私的暴政」という概念が非常に示唆に富んでいる。

バルトールスは、14世紀のイタリア全土で大小数十もの領主がひしめき合い、絶え間ない軍事的内紛や陰謀が繰り広げられている状況を「怪物」に例えた。

この怪物は、ぐらぐらと揺れる首の上に縮んだ頭が乗っかり、身体にはヒドラのようにいくつもの頭が生え、互いに牙をむき、噛みつき合って生き延びている。

バルトールスが示唆する私的暴政とは、中央の公的権威が完全に存在しないことを意味するものではない。

怪物じみた身体には確かに「頭」がついているが、その頭の力は弱く、身体全体に対して何らかの指示や目的を与えることはできても、いくつもある余分な頭、つまり「私的暴君」たちを手なずけるほどの力強さはないのである。

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