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〈創業者が激白〉コーエーテクモ、襟川陽一会長が明かす「15年かけた引き継ぎ計画」の舞台裏 経営哲学を伝承する仕組みとは?

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――それから実際にHD全体の経営を託すまでには15年ほどの月日をかけました。慎重に進めた背景には、01年に最高顧問に退いて経営の一線から離れた後、社長として再登板した過去も関係しているのでしょうか。

当時は引き継ぎもなしに、いきなり「社長をやってくれ」と頼んで、今は非常に反省している。(会長職の退任は)健康の問題もあったが、それにしても強引なやり方をしてしまったなと。結果として、業績がどんどん落ちていった。(テクモと統合後)コーエーテクモHDをスタートした09年度は、営業利益が6億円まで下がった。

襟川陽一(えりかわ・よういち)/1950年生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、78年に光栄(現コーエーテクモゲームス)を設立、代表取締役社長。本業である染料工業薬品販売の傍らでゲーム制作を始め、後に事業化。99年代表取締役会長、01年取締役最高顧問。09年コーエーテクモHD取締役、10年代表取締役社長、25年代表取締役会長。「シブサワ・コウ」のペンネームで『信長の野望』や『三國志』などのプロデューサーも務めた(撮影:梅谷秀司)

(鯉沼社長に対しては)12年にソフトウェア事業部(現エンタテインメント事業部)の事業部長、13年にコーエーテクモゲームスの副社長、15年に社長、18年にHD副社長と、段階的に私の仕事を任せて、ちゃんとウォッチしてきた。会社の業績をもっと上げる方法に気づけば、すぐに相談して、うまくいきそうだったら実行する二人三脚でやってきた。

自分の経営も信長型から信玄型に

――創業者かつゲームクリエイターとして、時にはトップダウンで会社を成長させてきました。鯉沼体制では、経営スタイルは変わっていくのでしょうか。

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