どうしてこのような名前がついたのか。インターネットを検索すると、2年半前の佐賀新聞の記事が目に留まった。
人気ゲーム「信長の野望」とコラボして国特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」(唐津市、玄海町)をアピールする佐賀県は、周辺の交差点の名称に武将の名前を採用する考えを明らかにした。来年1月以降、「波戸岬少年自然の家入口」を「真田昌幸陣跡」とするなど順次変更していく(引用:佐賀新聞WEBサイト2023/10/10 22:40配信記事)
なるほど、これは地元が観光振興や地域創生の一環で戦略的に名付けたものだったのだ。
“なごや城”といえば、金のシャチホコで有名な名古屋城(愛知県)が思い浮かぶが、近年の「お城ブーム」では、天守閣だけでなくむしろ石垣や濠などの城郭を構成する要素にも注目が集まっている。
そうした流れで、人口20万を超える世界最大級の町が忽然と現れ、わずか7年で消えたという幻の城が、ロマン掻き立てられる城跡として脚光を浴び、それを人気のシミュレーションゲームである『信長の野望』ブームが後押ししたということなのだろう。
なお、「伊達政宗陣跡」交差点だけは、このコラボの前から存在していたとのことで、これが武将交差点名の原点だったというわけだ。
「徳川家康別陣跡入口」交差点の改名前は「ひばりヶ丘」だったというから、どちらが印象に残りやすいかは言うまでもない。現に筆者自身が思わずクルマを停めてしまうくらいだったのだから。
京都・桃山地区には武将由来の町名が30以上
話は道路から離れてしまうが、京都に数年間住んだ経験のある筆者がこの武将名交差点で連想したのは、京都市伏見区の桃山地区にある、武将にちなんだ正式な町名の一群である。
近鉄と京阪電車の丹波橋駅の東側、模擬天守が再建された伏見桃山城の麓あたりに、不思議な町名が密集する一帯があるのだ。





















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