「己の血統が賤しいことを打ち消そうと…」豊臣兄弟が隠し通した秘密の兄弟姉妹…秀吉の前に現れた"実の兄弟"自称する若者の哀れな末路とは
秀吉は、母のなかを前にして、この若者を「息子として知っているかどうか、息子として認めるかどうか」を問い質します。その時の秀吉の態度は「傲慢、尊大」なものだったとされますし、軽蔑の念を込めた口調だったようです。秀吉の問いに、なかは「そのような者を生んだ覚えはない」と返答します。
『日本史』には、なかは「その男を息子として認知することを恥じた」ので「デウス(神)に対する懼れも抱かず、正義のなんたるやも知らぬ身とて、苛酷にも彼の申し立てを否定し」たとあります。
同書の記述は、なかとその若者が親子の可能性が高いことを匂わせています。
秀吉は、なかの返答を聞くやいなや、若者と従者を捕縛。面前で斬首させるのでした。彼らの首は、棒に刺されて、街道筋に晒されるのです。
さらには姉妹がいたことも発覚
この出来事から、3~4カ月後。秀吉は故郷の尾張国に、自分の「姉妹」がいることを聞きつけます。
『日本史』には「耳にした」と噂をたまたま聞いたように書かれています。が、先の若者の一件以後、秀吉は自分に他の兄弟姉妹がいないか、尾張国を中心に、捜索させていたのでしょう。その中で引っ掛かったのが、尾張国の「姉妹」だったと思われます。
彼女らは貧しい農民でした。秀吉は、彼女らに「姉妹として認め、待遇をするから」と勧誘します。都に来るよう呼び掛けるのです。
彼女らは「天からの良運と幸福が授けられた」と思い込み、親族の女性数人と共に、上洛することになります。ところが、入京するとすぐに彼女らは捕らえられ、斬首されてしまうのです。
『日本史』には「当人が望みもせぬのに」秀吉は彼女らを都へ召喚したとあります。当初は何らかの理由をつけて、都へ行くことを断っていたのでしょう。それを秀吉の使者が口説いて、都へ連れて来たと思われます。




















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