「実は小田急で乗降4位」登戸駅長に聞く駅の潜在力 JR南武線の乗換駅、構内は「国民的アニメ」の世界観
厚木市で育った重田駅長が子供のころからなじみのあった小田急に入社したのは1994年。もともとロマンスカーの運転士になりたかったという。
最初に配属となったのは相模大野駅だった。小田原線と江ノ島線が分岐するほか、車庫などが集積した運行の一大拠点だ。そこでの“先生役”の上司が「信号扱い者」だったことでその世界を知り、目標を変えた。
だが、ロマンスカーの運転士と同様、信号扱い者になるのも簡単ではない。試験を3回受けて3回目でようやく合格した。「2回目の不合格の時は駅のホームで泣いてしまい、副駅長に慰められたことを覚えています」。
駅の信号所勤務が長かった
その後、本社に異動となるまでの19年間、小田原、成城学園前、相模大野、海老名、藤沢などの各駅に勤務した。信号扱い者は一般的にイメージされる駅員の仕事とは異なり、普段利用客からは見えない場所に詰めている。
「信号所でやっぱり一番気をつかったのはダイヤ乱れの際の情報提供。いくら頑張って通常ダイヤに戻すのが早かったとしても、駅のホームや改札に立っている係員に伝わってなかったら意味がないな、というのは勉強になりました」




















無料会員登録はこちら
ログインはこちら