まるで天からの贈り物…男が育てたカリフラワーの末路。いとうせいこうさんの「サラダにして食う夢」を奪った"粒々"の正体

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もちろん寄付活動にも参加している。だがむろんそれで済む事態ではない。とはいえ実際、俺は何をすればいいのか。それがちっともわからなかった。もうすっかり大人だというのに、自分は他人の被った災害にどうお見舞いが出来るのか、まるで思いつかないのである。

自分勝手な贖罪。起きたらまず真っ先にジャガイモの様子を見ること。

今ここに書いていることが、現地で復旧にあたっている方々からすればむしろ有害な言い訳に過ぎないかもしれないとも考えながら、しかし俺は事実何をすればいいのか、遠くから何かを送っていること以外に適切なことがあるのかわからずにいる。ジャガイモの向こうに能登を見ているままで。

そして箱庭療法のようにジャガイモを微増させ、料理に添えるくらいしか暮らしの役に立たないハーブを育て、つまりは自分の役立たなさに水をやっている。悔しく混乱を続けている。

食べるものは、いかに少量でも切実さの共有につながると信じて。

カリフラワーに抱く夢

カリフラワー感謝祭の夢(2025年6月)

去年末にカリフラワーの種を蒔いた。どこか店頭でサービス品としてもらったか、100円ショップの種売り場あたりで見たからで、それを蒔いてみてくれと妻に言われたのである。積極的な行動ではなかった。そもそも俺は食べ物としてカリフラワー自体に興味がない。

それでも俺は中型のプランターに数個を点々と植えてみた。

それが冬だったからだろう、うんともすんともいわずに月日を経た。それでも俺は撒種責任とでもいうものを全うするべく、水を軽くやり続けた。

さて、すっかり諦めている俺の目の前に小さな芽がひとつだけ出たのが確か2月くらいのことだったと思う。奴は冬越えの最中に、しかも他の芽が並走してくれない孤独をものともせず、まるで天からの贈り物みたいに上へ伸びた。

そして4月になると奴はすっかりカリフラワー然とした大きな色の濃い葉を広げ、当然じきに中央にまさにクリーム色のカリフラワーの花蕾をつけた。もはやベランダの中でも最も存在感のある植物になったと言ってよかった。

もともとなんの期待もしていなかったわけだから、俺はそのカリフラワーに負い目を感じ続け、ゆえに手放しに称賛するわけにもいかず、だからといってむろん手を抜かずに育てた。

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