まるで天からの贈り物…男が育てたカリフラワーの末路。いとうせいこうさんの「サラダにして食う夢」を奪った"粒々"の正体

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俺に与えられた南側ベランダのすべてだが、すべて明け渡すとは言われながらも、なるべく長い時間俺は草花を視界に入れていたいから、鉢を置くのは結局リビングの外側のみになる。

例えば書斎などは仕事を終えたらすぐ出てしまうので、植物を眺める楽しみも少ないし、確実に水やりを忘れがちになるからだ。

というわけで、すべてはやはりリビング中心。天井からは観葉をあれこれ吊るし、外にこぢんまりと鉢を寄せ集める状態がどうやら俺の長い園芸生活の終わりになるわけで、やはりなにかしら芭蕉的な寂しさがある。

さてそうやって植物面積を減らしつつ晩年に近づく俺が、かわりのように許してもらっているのがただひとつ「正方形を10ばかり縦につないだ携帯可能の太陽光パネルを西側に置かせてもらう」こと。それを部屋の中の蓄電池に接続して、わずかながらの発電を実際の使用に回してみているわけである。

そのパネルの位置を太陽との兼ね合いであれこれ変えてもらっているうち、資料整理などによく使うジュラルミンの荷物棚をふたつ縦に並べて置き、その上に壁の高さとほぼ並列にパネル一連を載せるのが最も効率がいいことになった。陽光=エネルギーなので、出来ればひとしずくの光も逃したくはない。

この自然エネルギーの実験に関して妻は決して文句を言わなかった。なにしろ有意義だし、土も蔓も関係ないからだろう。

太陽光パネルの下の空間

そしてほんの2週間ほど前、その通称「いとうせいこう第2発電所」を眺めているうち、俺は「あっ!」と大声を上げた。

子供が登らないように中間の横棚を抜いてもらっているため、その空間がなんとも無駄なのだ。しかも不思議なことに、家のサッシに反射した太陽光が無駄なあたりを特に柔らかく照らしている!

大声を出したあとの俺はそのまま同居人になんの相談をすることもなく、ブドウの鉢を極秘にネットで買い足してそこにふたつ置いた。

蔓は棚にうまくからみついて風流だろうし、洗濯物は棚に遮られて土の上をはためくこともないはずだ。そもそもブドウが太陽光パネルの下にたわわに実る姿を想像するだけで感動的であった。

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