有料会員限定

高市首相の「台湾有事」答弁をめぐり雑な議論が広がる理由。制度の位置づけ、日中関係、台湾認識、別々に議論すべき3つの課題

✎ 1〜 ✎ 100 ✎ 101 ✎ 102 ✎ 103
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

有料会員限定記事の印刷ページの表示は、有料会員登録が必要です。

はこちら

はこちら

縮小

中国に対しては、武力行使に踏み切った際の失敗リスクを高めることで武力行使そのものを抑止し、同時に台湾側に対しては「米軍が必ず助けに来るとは限らない」という不確実性を残すことで、過度な安心感から台湾政府が自身の防衛強化の手を緩めたり、対中挑発的行動に走ったりするのを抑止する。日本の政治家の「勇ましい」発言は、この微妙な均衡を崩しかねない。

中国側に「日米が台湾防衛を公然と約束しつつある」とエスカレーションの好機として受け取られ、台湾側には「日本が守ってくれる」という過度な期待を抱かせる危険がある。抑止のための防衛力強化は、相手をいたずらに刺激しないよう慎重かつ粛々と進める必要がある。

一部で広がる日中共同声明に対する粗雑な理解

次の論点として、高市答弁と「一つの中国」政策、および日中関係を基礎づける「四つの政治文書」をめぐる認識の問題がある。いわゆる「四つの政治文書」とは、1972年の日中共同声明、78年の日中平和友好条約、98年の日中共同宣言、2008年の戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明であり、相互の領土不可侵や内政不干渉の原則を確認している。一部の論者は、高市首相が「台湾有事」に言及した行為はこれら「四つの政治文書」に反すると批判する。

この文脈でしばしば引用されるのが、日中国交正常化交渉にかかわった栗山尚一元駐米大使の回顧録である。栗山は、日中共同声明第3項において、「一つの中国」原則を主張する中国の立場を日本政府が「承認」ではなく「理解し、尊重する」と規定した経緯とその外交的意義を詳述している。

一部の論者は、「『理解し、尊重』するは事実上の『承認』を意味する」と主張するが、これは栗山の議論の趣旨を取り違えた粗雑な理解と言わざるを得ない。栗山氏が詳述しているのは、日本側がポツダム宣言第8項への言及を盛り込むことで、台湾の最終的帰属が国際法上は未確定であるとの立場を維持しつつ、台湾独立も支持しないという姿勢を示し、可能な限り大きな政治的余地を確保しようとした交渉過程である。

中国側はこの点を十分に理解しているからこそ、その対応策として「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する」必要があったのである。したがって、「日本は台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であるとすでに全面承認している」とか、「栗山氏の議論は外務省の国内向けのごまかしにすぎない」といった議論は、こうした外交交渉の機微を完全に無視している。

これをふまえたうえで、「四つの政治文書」と「台湾有事」および存立危機事態との関係をどう考えるかが問われよう。日中関係を規定してきた「四つの政治文書」が両国関係の政治的基礎であることは否定しがたいが、その重要な前提は「台湾海峡の平和と安定」と「台湾問題の平和的解決」である。

日本政府は一貫して「一つの中国」政策を維持しつつ、他方で台湾問題については武力によらない解決を期待している。それゆえ台湾有事と存立危機事態を公然と結びつける議論を慎重に避けてきた経緯がある。

しかし近年、中国は反国家分裂法の制定や習近平国家主席による「非平和的手段を排除しない」との明言、一連の経済的威圧や大規模軍事演習を通じて、台湾統一の手段として「非平和的選択肢」を前面に押し出しつつある。他ならぬ中国自身が「平和的解決」という前提条件を掘り崩している以上、「四つの政治文書」の存在をもって、日本側にのみ「台湾有事」の際の安全保障上の対応について論じることすら禁じる根拠とするのは、論理的に無理がある。

次ページ「四つの政治文書」で問うべきは中国側の姿勢
関連記事
トピックボードAD