かつて半蔵門線直通案も、葛飾の「新金線」秘史 旅客化構想続く貨物線「バス専用道」案も検討

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国鉄第1東京工事局の機関誌『東工』143号(1985年12月)によると、新金線案は深川扇橋(現在の半蔵門線・清澄白河―住吉の中間)から東に進み、越中島支線(新金線と同じ貨物線)に接続。越中島支線や新金線を経由して金町駅に乗り入れる。金町―松戸間は常磐線に隣接して線路を増設。松戸駅の先は新線を整備するというものだった。

第2常磐線 新金線案
第2常磐線の新金線案。半蔵門線と組み合わせて整備するものだった(国土地理院地図を筆者加工)

仮にこの案で整備されていれば、つくばエクスプレスと半蔵門線の相互直通運転が実施され、つくばエクスプレスの電車が半蔵門線の大手町駅や東急線の中央林間駅まで顔を出していただろう。つくばエクスプレスは一部区間が交流方式で電化されているから、東京メトロや東急電鉄も交直両用電車を導入していたかもしれない。

しかし、運輸政策審議会が1985年7月に答申した基本計画では北千住案を採用。半蔵門線は単独で松戸に延伸するルートが盛り込まれ、新金線の旅客化は単独路線としても除外された。

「総武線の混雑悪化招く」不採用に

『東工』によると、工事費の試算は北千住案が秋葉原―筑波間の55.8kmで4000億円。新金線案は都心―筑波間の60.2kmが3855億円で若干安い。これは当時未着工だった半蔵門線・蛎殻町(現在の水天宮前)―深川扇橋の工事費(650億円)と新金線の高架化工事費のうち国や自治体の負担分(60億円)も含んでおり、国鉄側の負担額はさらに安くなる計算だった。

ただ、ラッシュ1時間あたりの輸送人員(上り)は北千住案が約9万人なのに対し、新金線案は4分の1以下の約2万1000人で、常磐線の混雑緩和効果は小さいと予測。しかも新金線案は旅客の半分が途中で連絡する総武線に乗り換えてしまい、同線の混雑が悪化すると考えられた。

ちなみに1985年度の総武線の混雑率は、緩行線の錦糸町→両国が270%で、快速線の新小岩→錦糸町は267%。これより悪化するというのだから、新金線案は採用できるものではなかった。

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