かつて半蔵門線直通案も、葛飾の「新金線」秘史 旅客化構想続く貨物線「バス専用道」案も検討

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新金線は大正末期の1926年7月1日、非電化単線で開業した。このころ、総武本線のターミナルは隅田川東岸の両国橋駅(現在の両国駅)。都心寄りの西岸に乗り入れる線路は未開業で、旅客が千葉から都心に向かうには東京市電(のちの都電)に乗り換えていた。

貨物は船に積み替えて運ぶか、亀戸駅から私鉄の東武線に乗り入れて常磐線の北千住駅に向かう貨物列車で輸送。手間と時間がかかった。そこで総武本線と常磐線をつなぐ国鉄線として新金線が整備された。

新金線 ルート図
新金線のルート。総武本線と常磐線を結ぶ(国土地理院地図を筆者加工)
【写真】新金線を走るEF64形電気機関車牽引の貨物列車

昭和初期の1932年には、総武本線の都心乗り入れ区間(御茶ノ水―両国間)が開業。しかし勾配が急で貨物列車の運行には向いておらず、新金線の役割が変わることはなかった。戦後の1955年ごろには1日30本の貨物列車が走っていた。

旅客化を求める動きは遅くとも1950年代の初頭にはあり、1951年に「金町、新小岩両駅間の貨物専用に乗客用電車線併設の請願」が国会に提出されている。しかし1953年には当時の吉田茂内閣が「多額の設備費を要するので、目下の国鉄予算事情では、早急実施は困難」との考えを示した。

半蔵門線+新金線「第2常磐線」が浮上

一方で高度経済成長のなかで貨物輸送を強化する必要があり、国鉄は新金線の電化と複線化を計画。まず1964年に電化している。しかし1970年代に入るとトラック輸送の発達で鉄道貨物輸送が衰退。線路の増設用地は確保されていたが、複線化は事実上凍結された。

新金線 複線 用地
新金線の敷地は複線分の幅が確保されているが現在は単線だ(編集部撮影)

1982年、運輸大臣が運輸政策審議会に東京圏の都市鉄道網の整備について諮問。新線や既設線改良の基本計画をまとめることになった。鉄道貨物輸送の衰退で貨物列車が減った貨物線の活用も議論され、新金線を含む貨物線の旅客化構想が浮上した。

こうして1983年、千葉県は「第2常磐線」の都心寄りルート(南流山以南)として、営団地下鉄(現在の東京メトロ)半蔵門線や新金線の活用を提案する。第2常磐線とは常磐線の混雑緩和策として国鉄が構想した新線で、2005年に開業したつくばエクスプレスの原計画。茨城県も北千住経由のルートを提案し、国鉄は複数のルートを検討した。

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