もはや"主食"とはいえないのになぜ固執?「令和のコメ騒動」がこれほどまでに長期化している3つの理由

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もちろん、外食や中食に使われる材料としてのコメの値段が上昇するため、実際の影響はもう少し大きい。しかし、仮にお茶やコーヒーの価格が高騰したとして、コメのような集中的報道にはならないだろう。

お金以外の価値がある

では、コメだけが洪水のようにメディア報道されるのはなぜか。お金(支払額)で大差がないとすれば、お金以外のところでコメがほかの食材と異なる価値を持つからだと考えるしかない。

1つは、食料安全保障との関わりがある。日本人の食生活でエネルギー(カロリー)の摂取源は炭水化物が半分で、コメが多くを占める。小麦と異なり、コメはほとんどが国内で生産されるため、大災害など有事の際に頼りになる食材と考えられている。

日本に限らず海外でも、食料不足が懸念されるときにはコメの需要が急増し、国民の不満が高まることは珍しくない。国際相場が高騰した2008年には、フィリピン、ハイチ、バングラデシュ、ソマリアなどで「コメ寄こせ」の暴動が起きた。

今回の令和のコメ騒動の引き金となった1つの要因は、昨年8月に気象庁が発表した南海トラフ地震臨時情報だ。宮崎県沖の日向灘でマグニチュード7.1の地震が発生し、同地域を震源とする巨大地震への注意を呼びかけた。2019年に制度ができて以来初めての発表となったことから、各地で食料や水、防災用品の売れ行きが急増。もともとコメは品薄だったこともあって、一部の地域では売り切れる事態になった。

「いざとなればコメが必要」。スーパーのコメの棚で空きスペースが目立つようになると、万一への備えとして買い急いだ。消費者は目の前の小売価格を超える価値を、コメに見いだしたことになる。メディアがその変化をすくい上げて報じ、さらに消費者の購買行動を加速させた。

もう1つのコメの価値は、コメ粒の向こう側に広がる水田の恵みではないか。

スーパーの店頭に並ぶ食品の製造地や製造方法は、普段はあまり意識されることはない。だが、令和のコメ騒動を眺めていて、コメはほかの食品とは大きく異なっているように思えた。

海外の不作などで小麦やコーヒーの国内価格が上昇すると、メディアの報道は増える。しかし、コメのように1年間も延々と関心が続くのは極めて異例だ。生産の現場が遠く離れた外国で、私たちの生活となかなか結びつきにくいことが一因だろう。

一方、コメは事情が違う。

高度経済成長が始まる1950年ごろには、三大都市圏の人口は日本全体の35%で、それ以外の地方に65%が住んでいた。それが2005年に逆転し、都市部への人口集中はさらに進んでいる。

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